長野県岡谷市にて1957年創業の精密部品の製造・加工会社を事業承継。父親とやり方・考え方が合わず、関係の溝が深まるばかり。そんななか選択理論を学び、父親への捉え方がどう変化していったのかを紐解きます。
時代と価値観の違いから正しさの対立へ
「父とは分かり合えない」──ずっとそう思ってきました。創業者である父は昭和7年生まれ。「こうあるべき」と自分のやり方・考え方が正しいという強い信念をもっており、周りはそれに従っていました。20年前、31歳のときに、父から会社を継ぎました。とはいえ、技術者としての経験も実績もある父は、現役を退いた後もなお、事業や経営のやり方に口を出してきました。「そんなやり方は非効率だ。時代が変わっている」と私が言っても、父の考えはまるで変わらない。何度も価値観の違いでぶつかり合い、ときには口をきかない冷戦状態にまでなったこともあります。誰の意見にも耳を貸さない父を見て、「どうせ何を言っても無駄だ。早く退いてくれたらいいのに」──そんなふうに思う自分がいました。
分からせようと戦うのではなく理解しようと寄り添う姿勢へ
「人は変えられない」「自分の思考と行為は選択できる」。選択理論のこの考えに出会ったとき、「寄り添う」「歩み寄る」という選択肢が増えたと、心がすっと軽くなりました。一方で「私が正しいことを分からせよう」と父だけでなく、社員や妻にも外的コントロールを使い、そんな自分の言動や行動が、社員の離職や夫婦関係の悪化を招いていたことに気がついたのです。まず取り組んだのは、身につけたい7つの習慣にある「傾聴する」でした。相手の上質世界や5つの基本的欲求のバランス、価値のフィルターを理解しようと実践。父との会話でも「どうしたら父のことを理解できるか」と問い直すように努力しました。
より良い人間関係を築くための思考と行為を選択する生き方へ
行くことが日課になっている
大きな転機はプロスピーカーチャレンジ。なぜこの地で創業したのか、真正面から父と向き合い、その想いを聞いたのです。「手に職をつければ生き抜ける」──食べるものもない苦しい戦後の時代を生き抜いた覚悟を聞き、今まで〝理解できない〟と思っていた父の言葉一つひとつが、感謝に変わった瞬間でした。思考と行為は自分で選択できる。相手との関係をよりよくする思考と行為を選択しているうちに、気がつけば父との関係だけでなく、社員の離職が減り主体的な組織に変化し、4人のリーダーが育ったり、夜残業をしていると妻が手作りのお弁当を届けてくれるようになったりと、社員や妻との関係もよくなっていたのです。これからも選択理論を実践し、大切な人を大切にする人生を歩んでまいります。