幾度の苦難と遭遇しながらも、自らの信念を貫き通し、道をひらいてきた現岐阜市長の柴橋正直氏。何が氏を支え、力を与え、周囲の支援を集めたのか。その人生を変えた「道をひらく言葉」を伺った。
政治家として生きるも葛藤の毎日
「この活動を続けて本当に国民のためになるのか?」衆議院議員として活動していたときに感じていたことでした。政党の支持率の低下、内部でのすれ違いといった様々な問題があったうえに、当時の周囲で感じていた勝ち負けの文化に流され、本質を見失っていたのです。自分は何のために政治家になったのだろうと葛藤をしていました。思えば物事を判断するうえでの軸や信念がその頃の自分には足りていなかったなと感じます。
迷いを断ち切る「言葉」との出会い
転機は『頂点への道』講座の受講。自分の人生を根底から考え直すことができたのです。政治家という職業柄、未来やビジョンを語ることが多かったのですが、「何のために生きるのか?」という問いの答えを、思うように言語化できずにいました。生い立ちやキャリア、人生そのものを振り返り、誰のために何のためになぜ生きているのかを熟考しました。そうして紡ぎ出されたのが「人々の幸せに貢献する」という言葉だったのです。とてもシンプルですが、この言葉に私の全てが詰まっていました。
政治家になる前、私は大手の銀行マンでした。金融界激震の時代で、日々の問題と向き合い続けるなかで、国が定める仕組みに対して疑問を持つようになりました。「ルールを決める側に回らないと、大切な人や世の中の役に立てない」。そんな思いから政治家を志したのです。地位や権力などではなく、とにかく目の前の人の役に立ちたい、喜んでもらいたい、そのために全力を尽くしたい。そんな私のなかにあった思いが、明確な言葉になって現れたのです。いま、自分がやっていることは「人々の幸せに貢献する」という指針に沿っているのか?そう自問自答し、誰よりも自分が納得のいく選択をし続け、一度は落選をしたものの、2018年に岐阜市長にお選びいただくことができたのです。
1000回以上市民と向き合い見出した理想
市政で大切にしてきたのは、市民の皆さんとの対話です。選挙時から4年間、1000回以上にわたって皆さんのお話を聞いています。皆さんのお声を本音で聞けて初めて、お一人おひとりにとっての「幸せ」とは何かを知ることができ、的を得た市政ができるのです。そのなかで見出した理想が「こどもファーストの町」です。背景にあるのは、2019年に起こったいじめにより生徒が命を失うという重大事態です。関係者はもちろん、何より本人の心の内を思うといたたまれない気持ちでいっぱいです。もう二度と同じことは起こさないと誓い、これをいじめ重大事態として深く受け止め、いじめの撲滅を宣言しました。
根本解決に必要なのは「教育」です。子どもたちが自らの生きる意味を見出し、自らの力で幸せに生きるための選択をしてほしいと思っています。そのためには判断の源となる良質な情報に触れる・学ぶことが必要不可欠です。故に学校という存在がとても大切なのです。専門の役割を設けたり、教育現場との議論を重ねたり、選択理論心理学を用いた教育のアドバイスをいただくなど、様々な取り組みをしてきました。そして、『草潤中学校』という不登校特例校を開校。勉強する場所も形式も自分で選べるような仕組みにし、学ぶことへのハードルを下げたのです。開校から間もなく3年が経ちますが、出席率は約8割まで伸びており、多くの生徒の進学が実現したのです。
加えて、一般財団法人日本プロスピーカー協会の岐阜支部の皆様にもたくさんお力をお借りして、学校でいじめ撲滅・いじめ予防を目的とした講演を行っていただくなど、活動の幅が徐々に広がっています。「人々の幸せに貢献する」という理想から考えれば、まだまだ小さな一歩ではありますが、確かな一歩です。
この町に暮らす方々が、もっともっと幸せを実感できる市政を追求したい。日々そのように思います。どこまでいっても原点を忘れずに、市民の皆様とともに、歩みを重ねていきたいと思います。
「人々の幸せに貢献する」
京都府京都市生まれ、大阪大学卒業。2009年8月に第45回衆議院議員総選挙で初当選を果たす。2014年に行われた岐阜市長選にて、無所属で立候補するも、僅差で破れ惜敗。その後2018年に再出馬し、過去最多7名の候補者がいるなかで、2位に2倍以上の得票差をつけ、圧倒的な支持を集めて岐阜市長に初当選する。市民に寄り添った市政が人気を呼び、2022年には2期目の市長に再任。数々の改革プロジェクトを着実に推進している。