創部から30年間で21年連続 23回全国大会出場
■高校ラグビー日本代表監督に抜擢されワールドカップ日本代表選手を育成
■講演家としてスポーツ指導者・教員・経営者に50回以上講演
スポーツ業界で後を絶たない行き過ぎた指導。しかし、指導者の多くは、チームのため・子どものためを思って指導をしているのではないでしょうか。今、指導者が向き合わなければいけない課題は何か。どのように時代に合わせた変革をしていくのか。体罰問題で辞任を迫られ、一度は表舞台から去るも、学びを通して目的・使命に気づき「しくじり先生」として指導者育成に従事している松井英幸氏にお話を伺いました。
体罰問題で顧問を辞任し人生のどん底に
スポーツ業界では暴力暴言問題が後を絶ちません。しかし、指導者に愛がないのかと問われると、チームや選手のために指導しているのではないでしょうか。原因は、行き過ぎた指導方法。私自身がまさに失敗経験者です。これから私の経験をお話しいたします。
1985年、流通経済大学付属柏高校創立年度にラグビー部監督に就任。生徒と本気でぶつかりあっていました。寮に寝泊まりし、部活では教師・寮では親父代わり。創部から7年目で全国大会出場を果たし、30年間で21大会連続23度花園に出場する名門高校に成長させました。高校ラグビー日本代表監督に抜擢され、W杯日本代表選手の育成にも携わりました。しかし、2015年体罰問題で顧問を辞任。
人生が一変、マスメディアにも取り上げられ「すべてが終わった」と思いました。
良質な情報との出会いが育んだ「変われる」という信念
中学生から50歳までラグビー一色だった私にとってラグビー=人生でした。夢半ばでラグビーを失い、人生のどん底。精神的なダメージから、好酸球性副鼻腔炎という難病指定者になりました。逃げるようにニュージーランドに渡りました。約1年、コーチングや教育システムなどを勉強し日本に帰国。しかし、戻っても何も変わっていませんでした。「なぜこんな目に遭うのか、何か悪いことをしたか」と腹の底では他人や環境のせいにしていたのです。
教え子が『頂点への道』講座を教えてくれました。「人はいつからでもどこからでもよくなれる」、青木社長の言葉に一筋の光を感じやり直そうと決意。しかし、それは「自分に原因がある」と認めることでもありました。本当は分かっていた、でも認めたくなかったのです。講座で出会う経営者や指導者はみな成果と人間関係を両立させていることに驚きました。同じ様に学んだら、私も変われるかもしれない。そう思い継続学習を決意。しかし、長年の癖を変えるのは大変でした。一つずつ理解し、仲間にもたくさんアドバイスをもらいました。一歩ずつ成長を積み上げ、辞任から5年、指導者の指導者として流通経済大学ラグビー部のアドバイザーとして戻ることができました。
「しくじり先生」として指導者に伝えたい
思えば、私が指導者になったのは、子どもの成長を見るのが好きだったからでした。受講を通して初心に返ったとき「同じ過ちを起こさせないために自分の失敗経験を指導者に伝えること」が使命になりました。行き過ぎた指導の原因は、コミュニケーション不足だと考えています。多くの指導者が自分の経験のみで指導をし、自分の価値=生徒たちの価値だと思い込み、正しさを押しつけてしまう。しかし、多様性の時代、個に目を向け理解し合うコミュニケーションが必要です。
選択理論心理学を学び、自身の失敗の原因が紐解けました。現在、プロスピーカーとなり「しくじり先生」として、子どもの可能性を引き出す指導法をスポーツ指導者・教員・経営者向けに、4年間で50回以上講演し伝えています。人生のどん底を味わったとき、二度と表舞台に立つことはできないと思っていました。しかし、学びを通して変わることができました。私もまだ新たな道を歩み始めたばかりです。ともに学んでいきましょう。
他人や環境ではなく、
自分が変わる必要があると決断することがスタート。
素直に学び、上質な情報との出会いで、
過去のすべての苦悩や葛藤がメッセージに変わる。