野村ホールディングス株式会社 名誉顧問 氏家 純一
元参議院議員アチーブメント株式会社 顧問 木俣 佳丈
アチーブメント株式会社 代表取締役社長 青木 仁志
「艱難 汝を玉にす」の言葉通り、困難は人を大きく成長させる。特に指導者は、時には思わぬ「嵐のような逆風」に直面することもある。逆境に直面しても、それを成功の種に変えるリーダーと、そうでないリーダーがいる。果たしてその違いとは。かつて社会的信頼が地に落ちた野村證券を「世界の野村」へと飛躍させた氏家純一氏に話を伺った。(鼎談場所 野村ホールディングス株式会社 本社)
本日は、野村ホールディングス株式会社の氏家純一名誉顧問にお話を伺います。
まず初めに簡単に氏家名誉顧問のご経歴をご紹介いたします。名誉顧問は、東京大学を卒業され、その後に名門シカゴ大学大学院を修了。経済学博士号を取得されました。シカゴ大学と言えば、ノーベル経済学賞も10名以上も輩出した名門中の名門です。
私も、さまざまな実業家の方々とお会いしますが、経済学博士号まで取得されていらっしゃる方は本当に記憶にないぐらい少ないかと思います。改めまして、深く尊敬申し上げます。
訪れた逆境での突然の代表就任
そうですね。1997年に総会屋利益供与事件により、社長をはじめとした役員15名が退任。まさに首脳陣総退陣の状態の中、代表を任されたのが、当時常務だった私でした。実は、1991年にも大口顧客への損失補てんの不祥事から社長交代があったばかりだったのです。
加えて、そうした社内の事情だけではなく、社会情勢も激動でした。競争自由化を柱にした金融ビッグバンの流れで、四大証券の一角であった山一證券をはじめとした証券会社や、北海道拓殖銀行・日本長期信用銀行なども破綻するなど、大手金融機関が連鎖的に経営破綻をしたのです。さらに襲ったのがアジア金融危機。弊社は4000億近い巨額の税引き後赤字を計上しました。
会社の信頼はこれ以上ないぐらい地に落ちた状態です。「こんな会社はもういらない」と言われ、社内からは諦めと不信の声が数え切れないほど上がりました。そこに合わせて起きた金融危機ですから、そのときのことは、今でも思い出したくないほどです。生まれて初めて、身体的危機にも晒されました。
名誉顧問のリーダーとしての大きな愛と責任が痛いほど伝わります。私も『人を大切にする経営学会』の常任理事を務めていますが、人を大切にする経営の根幹にあるものを一言で言うならば、それは「トップの愛と責任」ではないかと思います。
代表にご就任後、どんなことに着手されたのでしょうか。
そのために必要なことは、従業員自身が自分たちの存在理由を確信することでした。私たちはなぜ必要とされているのか、世の中に存在する意味とは何なのか。「社会に受け入れられている」というレベルでは到底、誇りなど持てません。「必要とされている、不可欠だ」と言われる存在になって「誇り」が得られるのだと思います。私は、繰り返し、繰り返し、その存在意義を従業員に伝え続けました。
理念浸透の極意だと思います。自社の存在意義を説くためには、まずは他ならぬトップ自身が、自社の存在意義へ、揺るぎない確信・信念を持っていなければいけません。
名誉顧問ほどの方が、もっとも注力したのは自社の理念・存在意義を説き続けることというのは、多くの経営者にとって確信が深まるこれ以上ない実例ですね。
「なぜ、何のために」という問いに対する答え、つまり目的です。これが利益だとしたら、ピラミッドの土台はできません。特に困難に直面したときほど、それが明確になっていないと、先に進めませんから。20年間の経営経験の中でこれは確信と言えます。
さらに着手したことは、不祥事につながったビジネスモデルを変えること。具体的には、これまでの常識であった「売買業」で手数料を稼ぐスタイルではなく、顧客の置かれた状況に応じて最適な商品を提案することで、預かり資産を拡大していく「資産管理業」へと転換を果たしました。
それも、やはり自社の存在意義から出てくるものです。「自分たちは家計から企業に流れる金融の流れを通して、世の中に資金を配分をしている。その手伝いをするという、有用で、価値のある仕事なのだ」と。
存在意義を説き続け、同時に社外の人材もいれた管理体制を整えるなど、信頼回復に向けて必死に走り回りました。
逆風を越える指導者が持つ哲学
人事を尽くした先には、必ず天命があると。
名誉顧問ほどの困難を経験された方が、未来に対して希望を失わない背景には、やはり『聖書』の「明日のことを思い煩うなかれ。明日のことは明日思い煩え。一日の労苦は一日にて足れり。」という言葉があるのでしょうか。
はい。それをもっと一般的に言い換えるなら、「希望」でしょう。勇気と誠実さで事にあたれば、どんな絶望的な状況でも必ず光があると。
思えば、当時、かなり強気な記者会見もやりました。あまりに強気だったものですから、「不祥事を起こした野村の社長にしてはえらく威張っている」と記者内で評判が悪くなったほどでした。
しかし、それは「必ず道は開ける」という確信の表れでもあり、「思い悩むな」という価値観の表れでもあったのだと思います。私のこれまでの人生を振り返ると、この3つの価値観があったと改めて思います。
そうした価値観に基づく判断の結果、世界の野村が創られたのですね。私利私欲ではない、「志」「利他的な思い」で努力を続ければ、周囲が守ってくれますし、何より天が味方してくれると私も思います。
私も自分が直面した困難の際には、「自分は世のため人のためにこの事業をしている。それゆえに失敗はありえない」という確信がありました。
「衆知を集める」組織が持つ可能性
ただ、ここまでトップダウンでの理念浸透の話をしましたが、「個人の尊重」の重要性を最後に強調しておきたいと思います。
最近の社会の傾向として、「一部のエリートに頼る」という気風が高まっているのを懸念しています。誰かに「頼る」という風潮です。自分で考えて決めたことに対して、その結果を自分で取るという考え方が、もはや基本ではなくなってきていると思いますね。
おっしゃるとおりですね。私の尊敬する松下幸之助翁も、「衆知を集める」経営を生涯続けられてこられました。同じく学歴のない私はこの考え方を大変重視して経営してきたと思います。
「人はコントロールできない。それをコントロールしようとすると葛藤が生じる」と言うのが選択理論心理学の考え方です。会社は縁ある人を幸せにするために存在するのであって、会社のために社員がいるのではありません。理念は金太郎飴、個性は100%尊重が理想ではないでしょうか。
「多くの人々の知恵の集合体である市場経済が最適だ」という確信を私は持っています。市場原理と同じく、経営においても、個の自由な選択を重視し、自由な競争を尊重すること。中央や一部の統制の中では、個人が自己の持つ力を大いに発揮することはできないでしょう。
経済全体で言えば、数多い中小企業や中小企業経営者の知恵や経験が集まって物事が決まることが、社会の全体最適を創り出すと思います。
氏家名誉顧問が大切にされている3つの言葉
ミッションリンク
~大切にしている理念~
「勇気」「希望」「思い悩むな」
何かを成し遂げるには、「勇気」を持って、「誠実」に物事を断行することが欠かせません。同時に、そこまでしたのであれば、思い悩む必要はないのです。どんなに危機的状況であって、「神共にあり、いずれに行くとも勝利あり」という言葉が私を守ってくれたように思います。成功への確信を持ち続けられるかが、「逆風を越える」リーダーの特徴ではないでしょうか。
1945年、山形県生まれ。1969年東大経済学部卒、1975年、シカゴ大大学院で日本人2人目となる経済学での博士号を取得し、野村證券入社。7年にわたる米国勤務を経て、1997年、総会屋への利益供与事件に揺れる中、社長に就任。徹底した危機管理体制の整備と、資産管理業など顧客本位のサービス強化で、信頼と業績の回復に努めた。2003年に会長、2011年6月に常任顧問、2015年4月から名誉顧問。