エアレース・パイロット/エアロバティック・パイロット 室屋 義秀
2017年、44歳でアジア人として初となるレッドブル・エアレースの年間ワールドチャンピオンに輝き、いまも第一線で活躍し続ける室屋義秀氏。18歳でグライダー飛行訓練を開始し、世界の頂点に立つまで その歩みは、決して順風満帆なものではなかった。
幾多の困難と挫折のなかでも持ち続けた「操縦技術世界一」への思い。強靭なフィジカルとメンタルをいかにして築き上げたのか。目標達成に対する捉え方や日々の取り組みについて伺った。
数々の困難を乗り越え自分自身の原点を見直す
22歳で「操縦技術世界一」を人生の目標と定め、44歳でワールドチャンピオンを取るまで、目標を諦めようと思った事は何度もありました。なかでも大きなターニングポイントとなったのが2002年、29歳で3000万円の借金をしてスホーイという曲芸専用機を購入した時です。飛行機があればトレーニングができるだけでなく、エアショーやエアロバティックスに出ることでスポンサーが付いてお金も返せると考え、購入資金の目処がまったく立っていないなかでの購入を決断。
実際は飛行機があればなんとかなるというわけでもなく、飛行機の維持費を捻出しながら世界選手権に向けてのトレーニングを積むという、ギリギリの生活が続きました。人生の目標は「操縦技術世界一」と言ってはいるものの、エアショーに出た方が生活は楽になる。現実の厳しさと自分が追い求める目標とのギャップに疲れ果てて、「世界選手権は目指さなくてもいいのではないか?」という思考に陥った時期が数年間続きました。暮らすのに精一杯の日々で、世界一を目指すことを辞める理由は100も1000もあるわけです。
目標を諦めるための理由付けが簡単にできる状況で、僕に「本当は何がしたいのか?」という本質の問いかけをしてくれたのが、いまでも一緒に仕事をしている芦田博さんです。「お金の話はまあ、ちょっと置いておいて」「置いておけないから悩んでいるんでしょ」という、噛み合わない議論が数年間続いたのですが、そこで自分が何をしたいのかという心のなかにある本質を見つめ直すことができました。
大会に出るのは燃える瞬間なわけですが、その瞬間に向けて準備をすることも含めて、すべてが楽しみだと気づくことができた。それまでは、大変だったことをアピールしたい自分がいたり、世界一を目指すという目標を心の底から楽しめていなかったかもしれない。そうしたことを深く考えていくこと、理想と現実を行ったり来たりしながら悩みに悩んで、考え抜いた結果、苦しみを含めて好きなことをやっているのは楽しみだ。これでご飯が食べられたら最高だなという発想にたどり着きました。
自信のない選手の典型だった世界で味わった挫折
このまま訓練が進んでいっても合格できるのか分からないという不安が続きました。その時のコーチがメンタルについても造詣の深い方で、メンタルトレーニングを根底からやるほどの時間はなかったのですが、状況への対処方法を少しずつ教わりながら、なんとか励まされて最後まで進むことができました。
イメージのない現実は存在しない日々の積み重ねが実績をつくる
本当に自分が心の底から何をしたいのか、仕事はこういう分野でこれくらいのことがしたい、プライベートではこんなことがしたい、家庭はこうしたい……。いろいろと出てくるかもしれませんが、まずは自分が心からこうしたいという目標を見つけることが重要だと思います。
僕の場合は「飛行機のエアレースで世界チャンピオンになる」という目標をどう達成するのかというステップを分析する作業のなかで、世界一を達成するためには作業量が膨大で、1年・2年では到達できないということを理解しました。目標設定は現実的なものでなくてはいけないし、到達が不可能なものだと途中で燃え尽きてしまいます。計測可能な状況にして、期限を設けるということが目標達成に非常に重要な要素です。
目標達成のために、毎朝必ずプランニングの時間を設けています。朝起きたらまず自分の体の関節を動かすようなことから始めて体を整え、その後呼吸法で気を整えて体と心をつなぎ、少なくとも10分程度はその日のイメージリハーサルを行います。その日1日、何をするのかを詳細に準備をして、それが終わってから1日をスタートさせます。これは、レースの日に限らず毎朝必ず30分間行っています。
人は、自分がイメージできていないことを行うことはできないので、いかに正確なイメージが作れるのかが勝負となります。それができていないと、僕らの世界では間に合わない。頭で考えてから手に信号が届くまでに0.2秒くらいかかり、その間に20m飛んでいる。あっと迷った瞬間に、すべてが手遅れになります。見た瞬間に、反射的に反応ができるまでイメージしておく。理想的な飛行をするには、本当に正確なディテールのイメージが必要で、場面のビジュアライゼーションもそうですし、音やGの感じ、どの瞬間にどのくらい体を動かし、その時、息は吸っているのか吸っていないのか、目はどこを見ているのか、足はどのくらい動いているのかなど、詳細に考えます。飛行中の1秒間を思い描くだけで相当な時間がかかっているのですが、こういうことを日々積み上げてレース中のイメージトレーニングをしています。
最悪を予測して準備する運を拾って味方に付ける
自分でそろそろ下っているなと感じる時、そういう波には基本的には抗えない、そういうものだと捉えるようにしています。トラブルもそういう時に発生してきますが、そんな下り坂の時期をいかに耐えて自分のなかに基礎力を積み重ねられるか。下り坂で腐りがちになりそうな時にどう耐え切れるのかで、その後の勝負が決まってきます。上り調子の時は、景気が良いバブル期みたいなもので、みんな上がっていけるのですが、一回下ってしまうと、いくら上っても元いた場所より低い位置で終わってしまいます。引きずり降ろされる時に自分が耐えきれるかどうかということ、トラブルも含めて、なんとか耐えきって最低限のダメージで乗り切ろうということをよく考えます。
自己イメージが自分をつくる人生を変えるのは自分自身
そういうことが起きうるということを信じられたら、かなり成功かなと思います。自己イメージといってもいろいろあって、ネガティブなことも思い浮かぶと思うのですが、僕が行った方法は過去の成功体験を振り返ってみることです。地面に立って、自分のタイムラインを歩くのですが、小学校1年生くらいから覚えているとして、小学1年生の1年間を思い起こし、そのなかで自分ができた事や褒められた事など、いいことだけをピックアップして1つだけでもいいからメモをして1歩進む。2年生、3年生、現在に至るまで歩数を進めて、いまの年齢に達した場所から歩いてきた道程を見返すと、自分の現在位置から、自分を振り返る事ができる。
自分はこんな人間で、こんなことができるということを把握した段階で、もう一度回れ右して未来を見た時、そこで何かしたいということがあれば、そこに向かって次の1歩を踏み出す準備をする。過去を整理して自分の強みを知ることで、今後の人生についていろいろ想像しながら、目標を立てることができるのではないかと思います。
望む人生を生きるために次世代に伝えたいこと
自分自身が満足できるフライトができるようになり、レッドブル・エアレースで年間総合優勝を果たした2017年の少し前あたりから、社会貢献活動を考え始めていました。多くの人たちに支えられてここまで歩んでこれたという思いと、自分の体のなかにはどれほどいろいろな人の教えやノウハウが詰まっているのかを考えたときに、次の世代へ渡そうという思いが芽生えてきました。
いろいろな方々に受けた恩をなんとか返したいという思いがあったのですが、高いレベルで相談をしている人ほど「恩返しはいらない。恩は返せないものだから次の世代に送ってあげればいい。恩送りをしなさい」と言われ、そうして始まっていったのがアチーブメントさんにもサポートいただいている「空ラボ」や、「ユースパイロットプログラム」などの社会貢献活動です。「空ラボ」では、小学校3年生から中学2年生までの子どもたちに、航空をテーマにした体験プログラムを通して、自分との向き合い方について学んでもらいたいと考えています。最も大切なのは好きだという思いです。「空ラボ」から航空宇宙に進む子どもがいてもいいし、いなくてもいい。将来なりたい姿を描くきっかけや、何かしら人生の役に立てばいいと思っています。
未来を見据えたビジョンを描くタイムマネジメントの重要性
コロナ禍のいま、本当に皆さん大変だと思いますし、僕らも他人事を言っている場合ではないのですが、誰しもが厳しい状況だと思います。世界全体が下り坂という状況下でいかに耐え忍ぶのか、自分自身にも言い聞かせているのは、ここが勝負のポイントだということです。いまの状況を俯瞰して見ると、人によっては時間は割とあるのではないでしょうか。こうした時間が有効に使えるという時に、第二象限、重要だけど緊急性のないもの、目立ちもしなければいますぐに役立たない事だったりするのですが、それをやっておくのが将来に向けての投資だと思います。
もちろん、コロナの緊急下にあるので、第一象限にある緊急領域のものに対処しながら第二象限に取り組まなければいけませんが、こんな時代だからこそ、世の中の変化にどうやって対応していくのか、そういう事をじっくりと考えて準備をし、底力を付けていくことが重要ではないでしょうか。今の状況が20年30年と続くことはないでしょうし、これを人生100年時代の2~3年と捉えて、なんとか生きながらえないといけません。
そして生きながらえた先に力が出せるように、いまは準備をしておく時期ではないかと思います。もちろん、この状況に疲れ果てて、やる気を失っていく気持ちも分かります。そんな時こそ、一人で抱え込まず、みんなでなんとか頑張って、未来を見据えて準備することが重要だと思っています。
3次元モータースポーツ・シリーズ「レッドブル・エアレース・ワールドチャンピオンシップ」に初のアジア人パイロットとして2009年から参戦。2016年、千葉大会で初優勝。2017年シリーズでは全8戦中4大会を制し、アジア人初の年間総合優勝を果たす。国内ではエアロバティックス(曲技飛行)の啓蒙の一環として、全国各地でエアショーを実施。世界中から得たノウハウを生かして安全推進活動にも精力的に取り組み、福島県と共に子ども向けの航空教室を開催するなど、スカイスポーツ振興のために地上と大空を結ぶ架け橋となるべく活動中。また、地元福島の復興支援活動や子どもプロジェクトにも積極的に参画している。福島県「ふくしまスポーツアンバサダー」、福島県・県民栄誉賞受賞。