震災の逆境を乗り越えて〜自分の力で人生を切り拓く〜

 KFSグループ 代表 小島清一郎

東日本大震災の被災地として大きな打撃を受けた福島。茨の道を覚悟してその地に残ると覚悟を決め、地域復興に尽力し続ける若き経営者がいる。3年で売上・従業員数を2倍にし、離職率を86%から4%まで低減させた経営改善の裏にあったチャレンジストーリーが語られた。

迫られた決断、福島で生きるという選択

「二人の子どもを抱えて、本当に福島に残り続けるのか?」

東日本大震災後、放射能問題で世界から注目をされた福島

「この先一体どうなるのだろうか」

未来への見通しがまったくない中、この地に残るということは健康面でも、生活でも、家族に大きな負担をかけます。

しかし、父と母の故郷であるこの地を、2人が人生をかけて築いてきたこの事務所を私は見捨てるわけにはいきませんでした。
そして、この地に残ると決めている社員やお客様が一人でもいる限り、その思いを裏切るわけにはいかない。

私は、経営者として家族も社員もお客様も、必ず守り抜く。
その責任を果たす覚悟を決めて、家族で福島に残る決断をしたのです。

抑えきれない心の叫びと、突如失った支え

決断したと聞くと、すごく響きがいい言葉のように思えます。
しかし、実際のところ私が迷いを断ち切って、前に向き続けられたかというと、決してそうではありませんでした。

常に心の中にあったのは「なんで自分だけこんな悲惨な運命なんだ」という思いだったのです。

きっかけになったもう一つの出来事が母の急死です。
父とともに事務所経営をしていた母は、厳格だった父の代弁者であり、フォロー役でした。
そんな母が急に亡くなったことで事務所内のバランスが崩れていったのです。

そして東日本大震災や、事務所をともに作り上げてきた社員の退職などと、数々の苦難が立て続けに襲いかかってきました。

それでもやるべきことは山積みで、家でも会社でも情緒不安定になり、急性胃腸炎を毎月繰り返しました。
今思い返せば、身も心も限界だったのだと思います。

「小島家の長男として生まれなければ、福島に生まれてこなければ、この会社に勤めなければ…」

心の中では、毎日のように周囲を、他人を、環境を責め続けました。

母が残してくれた大切なメッセージ

そんな自分を救ってくれたのは、母の存在でした。
これまで事務所の経営が苦しかった時期もありましたし、たくさん苦労してきたと思います。
しかし、母の口から不平不満を聞いたことはありませんでした。

余命1か月半と宣告を受けたときも、母が真っ先にとった行動は、自分の遺影写真を撮るということでした。
「私の仏壇を拝みに来たときに、笑顔じゃなかったら嫌でしょう?」そう言い残していました。

当時はなぜそんなことをしたのか、意図がわかりませんでした。
しかし今思えば、命の最後の時まで、家族や周りの人を思いやった生き方を母はしていました。

死ぬことがどれほど怖くて、どれほど悔しかったか、想像しただけでも心が痛いです。

しかしそれでも、弱音を吐かずに自分にできる行動を取り続けたのです。
どんなときも、人や環境のせいにしないで、自分が出来る最善を尽くすこと。
それは、母が生き方を通して私に教えてくれたことでした。

小島家をこの会社を守れるのは私しかいない。
周りのせいにしてそのことから向き合うのを避けている場合じゃない。
どうしたら家族を社員をお客様を守れるのか、福島に残ると決めた方々の役に立っていけるのか。

私たちを待っているたくさんの方々に貢献するために全力を尽くすのだと、自分から変わっていくのだと強く決意したのです。

年に数回社員向けの研修を行い、育成に投資をしている

家族や仲間、地域を守る生き方を

「貢献する企業で在り続ける」

この経営理念を定めました。

そして、お客様や地域社会への貢献は、身近な社員への貢献からしか成しえないと考え、まずは働く仲間が理想を追求できる環境の整備に注力をしていきました。

それまで権限委譲が苦手で、重要なことは全て自分がやっていましたが、思い切って行動指針を明文化したクレドの制作を社員に託しました。
一人ひとりに自分が主役であり、源であるという価値観を体感して欲しかったからです。

かつては、社員に対して一方的にメッセージをすることが多かったのですが、今は月に1日は完全に営業を止めて、全社員でどうしたらもっとこの理念を具現化できるかを考える時間を取っています。
それは私にとって、社員の声を聞く大切な時間です。
ひとりよがりな経営ではなく、会社と社員が人として繋がり、思いやりに溢れ、お互いに貢献しあえる組織を実現するためです。

こうした取り組みのかいがあり、一時期は86%あった離職率が今では4%まで下がり、社員数は2倍まで増えました。
そして、お客様のご要望にお応えし、よりお役に立てるサービスを提供するために、財務コンサルティング会社や、経営者の人生設計を作っていただく保険代理店、株式上場を支援する会社など計4社のグループ会社を新たに立ち上げました。

私たちがお客様にとって、「安心して成長できるパートナー」であれるよう努力した結果、売上は3年前の2倍を超えたのです。

グループとしても、まだまだ道半ばではありますが、理念から一貫した仕事、在り方が徐々に出来てきている実感があります。

自分の人生に責任を持つこと。
それは、自己中心的な目標達成を追うことではなく、人に喜びを与える貢献の生き方をすることです。
この命そのものが持つ大きな可能性を信じて行動することです。

母が生き方を通して教えてくれたこの価値観をこれからも貫き続け、貢献する企業として、さらなる高みに向けてチャレンジし続けていきます。

グループ5社、社員数50名を超える組織体へと成長し、地元福島を巻き込んだ事業活動を展開している

 

小島 清一郎(こじま せいいちろう)
KFSグループ 代表。1981年、福島県福島市生まれ。大学卒業後、実父の経営する会計事務所に入職。実母の急死、東日本大震災、申告書類提出期間の延長による売上低迷、「右腕」の離職等のトラブルが続くなか、2代目代表に就任。急性胃腸炎をくり返しながらも、経営努力を積み重ね、父が目標としていた売上を達成。従業員の定着率も大幅に改善する。起業支援や経営支援、保険代行業などに事業を拡張し、現在は5つの会社を経営している。