「想像できるまで触れ続ける」これが父への感謝を育んだ

株式会社やまむらや 代表取締役 山村 宙載
一般財団法人プロスピーカー協会 認定ベーシックプロスピーカー

人が抱える悩みのなかでも、特に家族関係は改善が難しく、多くの人が頭を抱えているのではないだろうか。事業承継に取り組むなかで、「許せない父親との過去」を吹っ切り、人間関係も事業承継も瞬く間に好転させた山村氏。自らの、そして父親の心の扉を開いた「鍵」 は何だったのか。話を伺った。

許せない父親に燃えた対抗心

私は小さい頃、「やまむらや」が嫌いでした。
まさに現在、私が代表取締役を務める会社のことです。

それはこの会社が、優しかった父を変えてしまったからでした。
以前祖父が経営していた会社の倒産を機に40年前に創業し、仕事に追われるようになった父は、人が変わったかのように私のことを支配し始めました。
私が何をやるのか、誰と遊ぶのか。
在日韓国人3世の私ですが、「お前の人生を決めるのは、俺だ」と父から言われるほどに、会社が私たち家族を「家父長制」そのものに変えてしまったのです。

大学を卒業する頃、私は会社以上に豹変した父のことを敵対視していました。
しかし、大学卒業後、父が希望していた士業の道にも進まず、「お前にもう価値はない。私の会社で働く以外に道はない」と言われてしまった私は、悔しい気持ちを抱えながらもやむなく「避けるべき存在」である父のもと、株式会社やまむらやで働き始めました。

平社員からスタートした22歳の私。
時間が経つにつれて、日に日に強くなる一つの思いがありました。

「あれだけ偉そうだった父は、本当は大したことない。自分なら父に勝てる」

そう思い始めたのは、会社の制度や財務体質が悲惨な状態だったからでした。
そのうえ、仲間の社員の苦労や不安に触れていた私は、自分なら問題を解決してもっと社員の力になれるという確信があったのです。

しかし、そんな父への対抗心を燃やし、約20年。
取締役に就任し、会社の課題を次々と改善していった私の心には、父を打ち負かすことよりも、社員の不安を減らしたいという思いが膨らんでいました。

子どもの頃から社員の苦しむ姿を見てきた私。
自分が経営に参画し始めた今だからこそ、会社のために尽くしてきてくれた社員のために闘わなければならないと感じたのです。
そしてある日の取締役会のこと。

「会社から手を引いてくれ」

私はついに、そう父へ伝えました。

しかし、当然父は激怒。
猛烈な言い返しをくらい、例のごとく押し切られてしまったのです。
何度ぶつかっても跳ね返されてしまい、私は次第に、穏便に事業承継してもらえる道も模索するようになりました。

表面的な「許し」は脆く、本心が現実をつくる

そんななか受講した『頂点への道』講座で、私は「人は誰もが不完全であること」や「人はいつでも、その人にとって最善の行動をとっていること」を学びました。
そして、「私の人生を支配してきた父に、欠点があるのを許せない自分」や「父も苦しみながら、父にとっての最善を尽くしてきたこと」に気づきました。

講座を受けた私は、敵対視してきた父を「許す」ことに決め、そのことを手紙に書いて渡したのです。

しかし、長きにわたって抱いてきた感情は、そんなに簡単に拭い去れるものではありませんでした。
経営状態の改善により経常利益を3倍にするなどの成果を上げた私は、銀行をはじめ周りの人から評価され始め、「父に勝って追い出したい」という思いが再燃してきたのです。
「許す」と決め、手紙まで書いたにもかかわらず、また父親と頻繁に衝突し始めました。

そんななか、私の気持ちに大きな変化を与える出来事が起こりました。
父が初めて私の前で弱音を吐いたのです。

税理士の先生を含め、3人で話し合っていた時のことでした。
経営の話題がでると同時に、私は父を激しく批判。
いつもだったら、覆いかぶせるように言い返してくる父が、このときは悲しそうな表情で、「先生、こいつは俺がやってきたことをすべて否定するんです」と弱々しく言葉を漏らしたのです。

父の言葉を聞いて、このときほど心を痛めたことはありません。
「この人はもしかしたら私に認めて欲しいのかもしれない。いや、私への行いを後悔し、今一緒に働いていることに感謝さえしてくれているのではないか」。そう思うと、父の心の変化に気づかず、昔と変わらず激しく責め続けていた自分が恥ずかしく、申し訳ないという気持ちが一瞬にして広がったのです。

経験せずとも感謝は醸成できる

「正しいことばかりでなく、父親の気持ちも少しは考えてみろ」

先生からのこのような後押しもあり、私は親族や社員、そして父親本人からも父の苦労や考えを教えてもらうようになりました。
すると時間はかかったものの、自分が入社する前のことを筆頭に、今まで知らなかった父の苦労や葛藤が想像以上に見えてきました。

一度会社の倒産に立ち会った経験や在日韓国人という理由で物事が思うように運ばなかった経験などを背景に、さまざまな葛藤を抱えながら、この会社はなんとしても成功させようと必死に闘う父の過去があったのです。

「命を懸けて会社を守ってきた父を、不幸にしてしまっている」

そんなやるせない気持ちから、私は自分の行動を変えなければならないと痛感。
父を承認し、さらには父の尊敬できるところを社員へ伝えるようになりました。すると、自分でも不思議なことに、承認や尊敬の言葉を口にすればするほど、その思いは深くなり、心の奥底から「感謝」まで溢れてきました。

もっと驚いたのは父親の変化でした。
あれだけ長い間、私が意見を持つことを許さなかった父が、全面的に承認し始めるや否や、すぐと言っていいほどあっさりと私のことを信頼してくれるようになったのです。

今ではその信頼が厚くなり、父が持っていた会社の株すべてを、何の見返りもなく私に譲ってくれるまでになりました。まるで、私のなかに「深い感謝」が生まれたことを父が感じとったかのようでした。

父との関係は、プライベートの面でもどんどん良好になっていきました。
今振り返ると、その発端である父への「感謝」を生んだのは、私が自分から父のことを理解し、承認し、そして父の尊敬するところを口に出し続けたことだったと思います。

そして、自分が経験していない父の過去を深く理解することができたのは、「当時のもの」に触れ続けたからだと思います。
私は、特に当時の会社のビデオを擦り切れるまで何度も見続けました。
こうして育まれた私の心の変化があったからこそ、今の株式会社やまむらやがある。
これだけは間違いありません。

私たちの会社は、おかげさまで創業40年。
特に野外バーベキュー需要においては、約8割のシェアをいただき、皆様に知ってもらえる会社になりました。

いい夫婦の日(11月22日)を記念し、レジ前でチューをするとお肉が半額になる「夫婦チュー割」や、バーベキューコンロの無料レンタルなどのサービスにも力を入れていますが、これらはすべて、父との経験をきっかけに「多くの人に幸せな人間関係を築いてほしい」という思いが強くなったからです。

まだまだ会社として道半ばな部分も多いですが、「利他の追求」という父も絶賛してくれた理念のもと、お肉を通して幸せを拡げていければと思っています。

ともに経営に取り組み、今ではお互いを労わり合い、ビジネス・プライベート両面において父親は「宇宙一の理解者」であると山村氏は語る

 

父親に対する解釈の変化

避けたい存在
追い出すべき敵

尊敬する上司
パワーパートナー

 

山村 宙載 (やまむら ちゅうさい)
京都を中心に食肉小売店を6店舗展開する、株式会社やまむらやの2代目。お店では、高品質・低価格のお肉約150種類の販売の他、機材レンタルも行っており、バーベキューの準備が一通りできる。お肉屋さんの概念を拡張した「エンターテインメント・フードカンパニー」をスローガンに、年齢が割引率になるユニークな企画なども実施。メディアにも取り上げられている。2017年9月には、連日満席の直営飲食店、肉バル「山村牛兵衛」をオープン。