世界的心臓外科医・日本心臓外科のパイオニア 南 和友の“プロの哲学”

「すごい男が日本に帰ってきた」

2005年、毎日放送「情熱大陸」にて、そんな紹介と共に特集された人物。その人物こそが、30年間世界最先端のドイツの第一線で活躍し、 日本に帰国した、世界的な心臓外科医の南和友氏である。 今回は、アチーブメント出版から発売された南医師の新刊、『世界No.1日本人心臓外科が教える 心臓・血管・血圧すべての悩みを解決する方法』に込めた思いに始まり、その医療への使命を語った。

人生100年時代だからこそ、他人事ではない動脈硬化

―南先生は、心臓外科医では世界的に類を見ない2万症例を執刀され、国内外の20以上の学会員・評議員を務めるなど、名実ともに世界的心臓外科医でいらっしゃいます。今回の新刊はどのような内容となっているのでしょうか。

高血圧症は日本でもっとも多い病気で患者数は1000万人を超えます。
予備軍を合わせると、60歳以上の半数は、循環器疾患に関連するなんらかの症状を抱えているにも関わらず、循環器系の病気は目には見えず、自覚症状もありません。

しかし、30歳を過ぎれば程度の差はあれ、誰にでも動脈硬化は進行します。多くの人が「自分ごとになる可能性がある」ものです。

何らかの不調が出てくれば、断片的な健康法を試して、生活習慣そのものはなかなか改善しない方もいらっしゃると思います。

「循環器系疾患の治療・改善は総合的におこなうもの」です。

ほとんどの循環器系疾患は誰でも簡単に事前対処が可能で、その健康法は、あらゆる病気の予防にもつながります。
循環器系疾患に悩める方、リスクを不安に感じられている方に直接アドバイスしたい、そんな思いで本書を書きました。

8歳で直面した、妹の突然死

―今でこそ「日本の心臓外科医のパイオニア」でもある南先生が、もともと医学の道を志されたのはなぜだったのでしょうか。

私が8歳の時、3歳下の妹が家の中で倒れ、心肺停止。
そのままあっという間に亡くなりました。
まだ小学生低学年の頃に直面した突然の死。

「なんと人は簡単に命を落としてしまうのだろう」

という無常観と共に、人の命を医学によって救いたいという思いが物心ついた頃には形成されていました。

 

―そのご経験から、大学は京都府立医科大学に進学されましたが、学生運動が起こり、学校が閉鎖したことで、在学中にヨーロッパに渡られました。

そうですね。

医学の勉強も進まず、これからどうしようかと思っていたとき、医学の最先端であるヨーロッパ行きのチケットを父からもらいました。しかも片道のチケットでしたので、「帰りも含めて向こうでなんとかしろ」という父の思いが込められていたように思います。

横浜から出向した船で、大しけの中を揺られシベリアへ。その後はヒッチハイクを駆使しながら北欧を経由し、やっとの思いでヨーロッパに到着。
帰りの渡航費を稼ぐために、まず就いた仕事がレストランの皿洗いでした。

 

―世界的心臓外科医が初めて就いた仕事が、皿洗いというのは意外ですね。

同僚からも「医者の卵が皿洗いをしているぞ」と笑われたものです。

しばらくすると医大から大学が再開すると一報を受けましたが、私は日本に帰らず、思い切って休学してドイツに渡りました。ドイツのハイレベルな医療技術を見たいこともあり、1年間ドイツの語学学校で語学力を身に着けるとともに、医療施設を訪問し、たくさんの技術を吸収していきました。

「救えた命が救えない」悔しさ

―その後に一度日本に戻られ、医大を卒業後、ドイツにまた渡られます。

その後に30年ドイツで過ごすのですが、実は当初は1年間の国費留学の予定。
つまり、大学の医局が「1年だけであれば」と許可を出したのです。

しかし、ドイツで1年経過後に、私が選択したのは「ドイツに残る」ということ。

それはすなわち医局の方針に背くことになります。
実際に医局からは「破門」の通知がきました。それでも残りたいと思ったのです。

 

―医局で破門というのは、その後の日本での道が閉ざされることになりかねません。なぜそこまでしてでもドイツに残られたのでしょうか。

日本とドイツの技術の差は想像をはるかに超えるものでした。
ドイツでは3時間で終わっていた手術が、日本では10時間以上かかる。当然、患者数にも差が出ます。

あるドイツ施設では1000名の患者様がいらっしゃるのに対して、私の医大は70名。
その差は約15倍です。

その差は、〝救える人の差〟でもあり、同時に〝自分が一人前になる速度の差〟だと思いました。
つまりドイツの1年は日本の15年になると。

 

―その大きな技術の差を痛感する出来事はありましたでしょうか。

医局の時にあるお子様を執刀しました。
お子様は7歳。大変難しい手術で、手術時間は約14時間に及びました。
しかし、努力むなしく、結局お子様は亡くなってしまいます。

「できることをすべてやった最善にかかわらず救えなかった」

強い悔しさとともに現代医学の限界という諦めの気持ちもどこかで沸いていた矢先。
ある学会発表でドイツの施設を訪れ、その7歳のお子様と同じ病気の手術に立ち会ったところ、衝撃が走りました。

なんと私が14時間かかった手術が、たったの4時間で終わり、救えなかった患者様は、翌日には朝食まで食べている。
それは現代医学の限界でもなんでもなく、技術の差でした。

技術によって、〝救えたはずの命が救えない〟

「これが日本の心臓医療のレベルなのか」
「日本の医療のレベルを上げるため、このままではいけない」

という使命感にかられ、その後の私の道が決まったのです。

ドイツでの30年の卓越、世界的心臓外科医へ

―大きな使命感や義憤に駆られ、当時では今以上に考えられない「破門」をされてでもその道を選ばれたと。

はい、そこから30年ドイツで過ごし、そのうち20年間はドイツの州立心臓センターに立ち上げから関わりました。

ドイツで立ち上げた心臓センターでは症例数が5年後には欧州一、7年後には世界一の症例数となりました。
そうした活動に評価をいただき、日本人初となるドイツボッフム大学の永代教授に就任しました。

 

―当時、日本の何倍もの技術を持つハイレベルな環境で、しかも30年。「日本人初」の永代教授という点にも、ドイツでの南先生のご功績がどれほど偉大なのかが現れています。

その後には、日本に戻られ、日本大学心臓血管外科教授、北関東循環器病院の病院長などを歴任。現在は「医療法人社団友志会南和友クリニック」の理事長・院長を務められています。これからの医療に対する思いをお聞かせください。

健康について、世の中の関心が大いに高まっています。
ただその多くが、病気になったり身体の不調が出てからどうするか、という事後対応もまだまだ多いのも現状。

たとえば、若い人にも多い、「急に心筋梗塞で亡くなった」という方の話を聞くと、多くの人は「急な突然死でお気の毒に」と思ってしまいますが、実は「潜んでいた病気」が重篤化したと考えられます。

つまり、一見、急な症状でも事前に発見することができたものが多くあります。
それゆえ、事前対応していくことが重要なのです。

そのために、健康診断を皆さんが受診されると思いますが、問題なのが、一般的な健康診断では、潜んでいた病気は発見ができないこと。
より正確で詳細な健康診断を行わなければ、潜んでいる病気が見つからないのです。

多くの人が、「家族や社会に貢献できる幸せ、生きがいを見つけ、物心両面の豊かさを得たい」と思っていらっしゃいます。
しかし、そのためには、健康がなければ何も実現できません。

健康は「自分が努力して得るもの」なのです。
これからも、そうした啓発活動を続けていき、皆さんの使命や成功のご支援をしていきたいと強く思っています。