危機から学んだ顧客を味方にする経営

オーダースーツSADA 代表取締役社長 佐田 展隆

新型コロナウイルスによって、壊滅的な打撃を受けている代表的な業界の一つがアパレル業界だと言われています。リモートワークの推進により、需要が激減しているだけではなく、百貨店の営業自粛の煽りを受け、廃業に追い込まれる企業も少なくないなか、頭角を現しているのがオーダースーツSADAです。紳士服の販売を事業とする同社は、コロナ禍でも前年対比101%の成長を実現し、5店舗の直営店拡大に成功しています。いかにしてこの逆境を成長の糧に変えてきたのか。代表の佐田展隆氏にお話を伺いました。

 

キャッシュさえあれば生き残れる

弊社の新型コロナウイルス対策は、まだ日本ではそれほど騒がれていなかった2月ごろから始まりました。自社工場を中国の北京に構えていることもあり、中国当局の動きを事細かに把握することができていました。そして時間が経つにつれて、「これは何かおかしい」と感じていたのです。都市封鎖に始まり、外出の規制や、休業要請など、これまでにないレベルで対策が講じられており、これは対岸の火事ではないと感じました。そこで、我が社が取り組んだのは、銀行からの借り入れを徹底的に強化したことです。たとえ、売り上げがゼロになったとしても、2か月は全社員の給与を支払えるだけの余裕を常に持っておくことをこれまでのモットーとしていましたが、それを倍に増やそうと動きました。ご存知のとおり、キャッシュさえあれば会社が倒産することはありませんし、ビジネスモデルの転換や、新たな取り組みを行える盤石な土台となります。借り入れをして、使わなかったとしたら多少の利息を支払って返せばよいが、本当に困ったときにはもう遅い。何があっても事業を存続させられて、社員を守ることができ、お客様に貢献できるよう、まずは潤沢な資金の調達に力を入れたのです。当時、日本ではまだそれほど危機的な雰囲気ではなかったこともあり、比較的順調に調達することができていました。目標としていた20億を達成し、結果的に30億の資金を手にしました。この資金があったおかげで、取引先である大手百貨店が軒並み営業停止となるなかでも、全国に55店舗展開している直営店の営業を続けることができ、緊急事態宣言による一時的な売上低減に陥っても必要以上に焦らずに、品質・顧客満足を追求し続けることができたのです。この状況においても、多くのお客様に選んでいただけた何よりの要因であったと思います。

価値ある教訓が活路を示してくれた

しかし、私が元からそのような慎重で綿密な経営をしていたかというとそうではありませんでした。これは、過去にあった倒産の危機を経て得た教訓なのです。
オーダースーツSADAは、2023年に創業100周年を迎える会社です。私はその4代目の経営者として組織をリードしていますが、父から経営を受け継ぐなかで2度の倒産の危機がありました。一度目は、バブル崩壊の影響を受けた倒産の危機です。25億の借金を背負い、経営不振に陥った父を助けるために会社に入ったのです。多少の成果を上げることはできましたが、結果として再建が思うようにいかず、その責任をとって一度会社を離れることにしました。そして、2度目は東日本大震災の時です。大口顧客の倒産によって、再び経営赤字が拡大し、倒産の危機が訪れ、もう一度会社に戻る決断をしました。この2つの危機を経て、痛いくらいに経営資金の大切さを噛み締めたのです。
経営がうまくいかなくなっては、どの金融機関も力になってはくれません。取引先への支払いも社員への給与も、資金がなければなんとか工面するしかないのですが、資金繰りの焦りから、キャッシュで入金いただけるならば赤字取引でも受けていたのです。目の前のことしか考えられず、数か月先を見据えたら明らかに自分で自分の首を絞めているのに、そうすることしかできず、まさに泥沼でした。このときに、資金繰りに追われると正しい経営判断ができなくなることを痛感し、これからは何があっても必ず潤沢な資金を蓄えられる経営をすると心に誓いました。この教訓が、今回のコロナ禍でも、大きく活きたのです。

逆境のときこそ、大切にすべきことを大切にする

私たちが大切にしている指針は二つあります。一つ目は、高いコストパフォーマンスを通して一人でも多くのお客様に商品をお届けすることです。弊社の一番の売りである、低価格・高品質の商品そのものです。その商品開発は、2度の経営の危機を経て、起死回生を図って取り組んだことでした。中国産のオーダースーツなんて誰も買わない。そんな暗黙の常識が業界にははびこっていましたが、「手に取りやすい値段であれば、より多くの方に喜んでもらえる」という信念を貫き通し、幾度も現地スタッフとやりとりをし、基準を伝え、徹底的に品質を追求した結果、確立できたビジネスモデルでした。
二つ目は、例え損をしたとしても、お客様との関係性を何よりも重要視することです。オーダースーツは、初回のご相談から納品まで時間がかかる商品であり、かつ生涯必要なものなので、1着作っただけでは終わらないはずです。徹底的にご満足をいただくことができれば、自ずとまたお越しいただける常連さんになっていただけますが、ご希望に添えなければ、もう2度と弊社にはお越しいただけなくなる可能性もあります。そのため、一度の接客で、ご満足していただけるまで尽くし切ることを大切にしています。例えば、仕立てたスーツが少しでも合わなかったとしたら、低価格商品だろうと、何度でも会社負担で満足いただけるまで直し続けてきました。
この二つの指針が、多くのお客様との縁を繋いでくださり、おかげさまでリピートオーダーを数多くいただけています。コロナ禍でも、低迷する業界に目を向けるのではなく、目の前のお客様の満足に目を向け、大切にし続けてきた指針を変わらずに大切にし続けてほしいと、社員に伝えてきました。緊急事態宣言が発令された4月と5月は結果として、約5割の売り上げ減でしたが、それ以降は多くのお客様に戻ってきていただけて、結果として年間では、前年対比101%の売り上げを残すことができました。すべては、お客様に選んでいただき、支えていただけたおかげです。

茨の道の先にこそ、繁栄がある

苦しいときほど、人は心のなかに眠る弱さが顔を出します。こんなに頑張らなくてもいいのではないか、もっと楽な道はないのかと、考えてしまうものです。しかし、そんなときほど、私は茨の道を選ぶことを大切にしています。なぜならば、価値ある未来を生み出す選択というのは、目の前だけを見れば大概が苦しいものだからです。しかし、その苦しさを乗り越えた先にしか、本当に手にしたい未来はないのです。
いま、紳士服市場は確かに縮小しています。しかし、そんないまだからこそ、スーツを着ることの価値を私たちは伝え続ける使命があります。スーツとは、仕事をするための作業着ではありません。スーツを着ることとは、出会う相手へのおもてなしであり、最大級の「敬意」と「感謝」を示す服装なのです。直接コミュニケーションを取ることが減っているいまだからこそ、出会う相手に対して最大限のおもてなしを示すために、スーツが必要とされているのです。いまもこれからも、このメッセージを伝え続けていきます。そして全社員とともに、弊社にお越しいただくお客様が、人生を変える「最高の一着」を手にするサポートをし続けてまいります。

佐田 展隆(さだ のぶたか)
1974年生まれ。一橋大学経済学部を卒業した後に、東レ株式会社に入社。父の誘いを受けて、2003年株式会社佐田に入社。2005年に代表取締役社長に就任するものの、2008年に一度退社をする。その後、2011年7月に再入社をし、2012年社長に復帰。現在関東を中心に全国に直販店55店舗を展開しており、コストパフォーマンスの高さを売りにしている。特に、若者向けオーダースーツ店の店舗数では日本一の規模をほこり、業界の注目を集めている。

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