事業に対する感謝が生んだ、 起死回生の逆転劇

京都市中京区に店舗を構える、甘納豆専門店「斗六屋」。
専門店の数が減少の一途をたどるなかで押し寄せてきた新型コロナウイルスによる経済危機。
あげればきりのない数の撤退すべき理由が目の前に広がるなかで、
4代目代表である近藤健史氏が選んだのは、事業の目的に立ち返り、
新たな価値を提供していくという道でした。
結果的に異例の成長を遂げ、メディアの注目を集めてきたその逆転のストーリーを伺いました。

有限会社 斗六屋 代表取締役 近藤 健史
1990年京都生まれ。京都大学大学院で微生物を研究した後に、関西の老舗菓子店で2年間修業をする。その後、2016年、斗六屋入社。甘納豆作りの技術を承継しながら、研究の経験を活かし、健康に配慮した菓子づくりと、「甘納豆」の魅力を知ってもらう活動に注力している。「伝統をあこがれにする」をテーマに、若者世代や世界に、甘納豆を通して日本文化を伝え続けている。2016年10月『頂点への道』講座 初受講。

コンプレックスが自信に変わった瞬間

「甘納豆屋にだけは絶対になりたくない。」かつての私はそう思っていました。理由は中学生の頃、友人に「甘い納豆なんて気持ち悪い」といじられたからです。家業がなければこんな目にあわなかったと、それ以来家業のことを恥じ、隠してきました。甘納豆といえば、年配の方が好んで食べるもので古臭い仕事だと思っており、その反動からか新しい発見のある研究に惹かれ、大学院まで進学し打ち込んでいました。就職活動のタイミングになって、家業なので少しは知っておいた方がいいだろうと、触れてみたことが、本当の価値を知るようになったきっかけでした。
毎年恒例の地元の祭への出店を初めて手伝ったときのこと。「そんなに売れないだろうな」と思っていたのですが、数千人の方が訪れて、皆さん口を揃えて「今年も美味しい甘納豆をありがとう。毎年楽しみにしてる。」とおっしゃってくださったのです。商品が売れることも驚きでしたが、それよりも、ここまで多くのお客様に慕われているということに、心から感動しました。「人に喜ばれる素晴らしい仕事じゃないか」それまで恥ずかしいと思っていたことが、誇りに変わりました。それと同時に、これまで自分が好きなことを好きなだけやらせてもらえたこと、研究にひたすら打ち込めたこと、これはすべて家業のおかげだったということが、身をもって分かりました。片親で私を育ててくれた母をはじめ、家族みんなが人生をかけて続けてきたからこそ、そしてこの甘納豆があったからこそ、自分がここにいる。その本当のありがたみを知れたときに、恩返しをしたいと家業を継ぐ決心をしました。

「クオリティ」を追求する一点に注力した選択

同業他社での2年の修業を経て、家業に本格的に着手し始めたころ、一つの大きな課題がありました。それは、ビジネススタイルが低価格の下請け生産メインだったことです。売上の8割を占めていました。当店の創業者である曽祖母は、まだ女性の起業が珍しい時代、「都名物元祖甘納豆」と掲げ、「質」を最も大切にするという方針を持っていました。
しかし時代の変遷とともに下請け生産が増え、そこで求められるのは高品質というより、そこそこの品質で低価格な商品。事業の存続という意味ではもちろん必要で、大切な仕事なのですが、未来を考えたときにこの延長線上には、本来目指している発展はないなと思っていました。家業に入ってまだ間もないときです。一体何が正しい選択なのだろうと、葛藤しました。アチーブメント社の『頂点への道』講座を受講し、何度も何度も「事業の目的」を自問自答し、自分が本当に大切にしたいことは何かと考え続けました。そうして、徐々に、事業形態を変えていく必要がある、創業の理念である「都名物」にふさわしい高いクオリティを追求する自社ブランドでやっていく必要があるという思いが強くなっていったのです。
そんなときに、新型コロナウイルスによる外出自粛の波が押し寄せてきました。言うまでもなく、弊社も影響を受けました。主な販路の一つであった百貨店が閉店。その売上が0の期間が数か月続きました。また工場直売所を開いていましたが、以前にも増してなかなかお客様がいらっしゃらない状態になっていました。今こそ変わるときだ。そう思って、まず、ほとんどお客様が来店されない時間帯は営業しないと決めたのです。営業時間は約半分になり、空いた時間で取り組んだのが、自社ブランド商品・サービスの開発と発信でした。価格で勝負するのではなく、品質を高める、すなわち美味しさで勝負をし、ご自宅で手軽にお取り寄せいただけるお得な詰合せサービスなどをスタート、SNSで発信し協力を求め、オンラインショップの売上が、0になった下請け分を補うほどになりました。
思い切った決断ではありましたが、私たちの強みがどこにあるのか、そしてどうありたいのかを考えたときに、高い品質を活かせる自社ブランドで勝負をする以外にはないと思ったのです。加えて、変化と適応が求められる状況も、追い風になりました。

巡ってきたチャンス、掴んだ未来への光

もともと研究をすることが好きだった私にとって、この開発に打ち込める時間は非常にありがたいチャンスでした。どうしたらもっと喜んでいただけるのか、付加価値の高いものを作れるのか、毎日毎日商品・サービスと向き合い、思う存分追い求めることができたのです。そして、そのなかで改めて確信となった思いがあります。それは、業界の未来を照らしていきたいということ。実は甘納豆の専門店というのは、現在京都でも当店を含め4軒ほどしかありません。この4年間で2軒廃業しました。しかし、甘納豆に育てられ甘納豆のおかげでここまで好きなことに打ち込めた私にとって、それは非常に悔しいことでもあります。甘納豆の魅力をもっと多くの人に伝えていきたい。自分だからこそできる業界への貢献がしたい。こみ上げてくる想いがありました。せっかくならば、若者や外国の方にも興味を持ってもらえる商品を作れないかと、かねてより構想していた商品が形になったのもちょうどこのコロナ禍のことでした。縁あって、京都のチョコレートベンチャーの代表の方とお話しをする機会をいただき、事業や商品に対する思いをお伝えしたところ、ともにいいものを作っていこうと、力を借りることができました。そこで生まれたのが、カカオ豆から作る新感覚の甘納豆「加加阿甘納豆」でした。甘納豆の甘すぎるというイメージを覆す、低糖質でスーパーフードと称される高品質のカカオ豆を使用し、研究に研究を重ねた独自の製法で作り上げた自慢の一品です。おかげさまで、この和と洋の異例のコラボレーションが注目を集め、メディアから数多くの取材をいただくことができました。オンラインショップの注文も、問い合わせも殺到し、販売初日には、これまでに見たことのない行列が店の外にできていたのです。お客様の層もガラッと変わり、若い世代の方が多くお越しくださるようになりました。正直、ここまでの大きな反響が生まれるのかと、自分でも驚きました。甘納豆の可能性を証明したい、そんな一筋の思いが繋がって、諦めずにチャレンジした結果、多くの方に支えられて、こうしたチャンスを与えていただけたのです。

世界に誇れる事業を追求し続ける決意

おかげさまで、店舗の営業時間を半分に減らし、下請けの仕事の95%をやめ、自社ブランドとして自立することができました。今期の売上は、現状で前期以上、期末は前期比115%の見込みです。まだまだこれからではありますが、思い描いている理想が一つまた一つと手にできている実感があります。
振り返ると、家業を継ぐと決めたときから事業をやめる理由は、あげればきりがありませんでした。若者に人気がないから、同業他社がどんどん廃業していくから、コロナ禍で来客が少ないから。どれも真っ当な理由であったと思います。しかし、この状況のなかであっても、自分はどうしたいのかと問われると、「家業、家族に恩返しがしたい。もっと豊かにしたい。甘納豆で一流の店にしたい。」という想いがやはり浮かんでくるのです。私にとっては、これだけで十分でした。歩みは決して早くはないかもしれませんが、着実に前に進んでいる自負があります。この家業や甘納豆への誇りを胸に、自分だからこそできる発信を、これからも日本に、世界に伝え続け、業界の見通しに、そしてより多くの方のお役に立てる存在になります。