ガーナのスラム街を、アートで変えようとしています。世界中で作品が評価され、最高額は2億円。1枚100ドルでも売れなかった無名の時代から、今や累計30億円を稼ぎ出すアーティストへと変貌を遂げた美術家・長坂真護氏。強い使命感に突き動かされた彼の活動は、多くの人々の共感を呼び、感動を与え続けています。その考えと行動の奥にある「リーダーシップの源泉」に迫ります。
路上の絵描きをガーナに導いた衝動
路上の絵描きという道を選んだのは25歳のときでした。もともと興味を持ったのはファッションの世界。10代はその勉強に打ち込み、海外で本物を学ぶために資金稼ぎで始めたのが歌舞伎町のホスト。2年弱で留学費用をはるかに超える3000万円が貯まり、思い切って挑戦しようと、アパレル会社を設立。そこから試練の連続でした。必死に経営するも、従業員の横領などのトラブルで1000万円の借金を抱えて1年で廃業。「何のためのお金稼ぎなのか」「何のために生きているのか」。必死に夢を追いかけたものの、儚く散っていった事実を前に、虚しい気持ちでいっぱいだったのです。「もうこの世界からは離れる」と、逃げるようにして踏み入れたのが絵描きの世界でした。
案の定最初は全く売れず、年収わずか100万円ほどで、生きていくのがやっとの日々。その頃に、紹介で出逢ったのがアチーブメントの青木さんです。初めてふたりでお会いする日に、早く着いた待ち合わせ場所で手にした経済誌が僕の人生を変えました。ゴミ山の前に立つ一人の子どもの報道写真でした。それを見た瞬間、脳裏に衝撃が走ったことを鮮明に覚えています。調べていくうちに先進国が出す電子廃棄物によって埋め尽くされたゴミの山から、再利用可能な金属を燃やして取り出し、売って生計を立てる人々がいる事実を知りました。僕たちの豊かさの代償を途上国の方々が払う、まさに資本主義の闇です。憤りや悲しさや無力感が入り混じった、初めての感情を味わいました。「ここに行きなさい」、運命にそう語られているように感じたのです。その後青木さんに決意を伝えると、全力で応援すると約束してくれました。30代前半の若者の戯言にも聞こえたはずですが、青木さんの目は真剣そのものでした。更に想いが固まり、ガーナへの渡航を決意したのです。
奇跡の10万円を握りしめて
そうして迎えた渡航の日。トランジットで寄ったパリで、旅行に来ていた青木さんと偶然再会したのです。目を疑いました。「あの日の決意を果たしに行ってきます」、そう伝えました。真っ先に青木さんに言われたのは、「お金はあるのか?」と。全財産を旅費に注ぎ込んでいたので文字通り無一文ですと、正直にそう話したら、青木さんはそのとき持っていたすべての現金であった10万円を僕に渡してくれたのです。僕がガーナのプロジェクトで初めていただいた投資でした。お金はもちろんですが、一人の若者の想いに寄り添い、真剣に想ってくださる青木さんの姿勢に、心の底から感謝の思いが溢れました。改めてこの旅は自分だけのものではないと再確認し、必ず意味のある時間にすると決意。そうして、ガーナへと旅立ったのです。
共感を呼ぶ動機善の力
到着したのは、ガーナのアグボグブロシーというスラム街。先進国から毎年25万トンもの電子機器廃棄物が持ち込まれ、たまった量は東京ドーム32個分。そこに暮らす3万人は、1日12時間電子ゴミを燃やして残った金属を売り、賃金は500円。燃やす過程で出た有毒ガスで、30代で亡くなる方も多いと言われています。大量消費された電子機器がここに投棄され、人の命を奪っている。この現実に目を背けてはならないと、強烈な使命感に襲われました。同時に、自分に何ができるのだろうかという無力感にも襲われたのです。
頭から煙が出るほど考え、偶然にも少し前に学んだ「サステナブルな経営」という概念がヒントになりました。スラムのゴミからアート作品を生み出し、コレクションしてもらえれば、先進国の人がスラムの現状をリアルに知ることができるし、スラムのゴミも減る。スラムでの活動とサステナブルが、アートという媒体を通して繋がるかもしれない。そう閃いたのです。ここに全力投球をしようと燃えるような想いが湧き上がりました。まさに自分の命の使い方を見つけた瞬間でした。
ガーナに行く前は「地球の裏側のことなんて、誰も興味ない」と思っていました。しかし実際はそうではありませんでした。その証拠に、ゴミで作った作品が、いきなり1500万円で売れたのです。空からお金が降ってくるような、現実とは思えない状況に戸惑いました。昨日まで数万円だった作品が、なぜ1500万円もの価値を持ったのか。その理由を必死に探しました。この短期間で画力が劇的に向上したわけではなく、僕が感じた資本主義の闇、そしてスラム街に暮らす方々の未来を預かった作品だからだと、熟考の末たどり着きました。それはつまり、人々の心の奥底にある「より良い世界にしたい」という願いです。ならばと、この売上をスラム街に還元すると心に決めました。それからは、作品を作って売っては、ガーナで活動し、そしてまた作品を作って売る毎日。気がつくと7年の歳月が流れました。おかげさまで活動の幅も広がり、学校を建て、農園を作り、プラスチックのリサイクル工場を運営するまで成長することができました。「この状況を良くしたい」という僕の純粋な想いに、動機に、多くの方が力を貸してくださったからこそ今があるのです。
志が人生を切り拓く
振り返ってみれば、世のため人のためにと行動したときから、僕の人生は好転しました。この原理原則を貫けば、必ず道は拓けると信じています。僕もかつては自分中心で生きていました。「ニューヨークで成功したい」「認められたい」というエゴに突き動かされ、世界中のギャラリーを駆け回りました。でも現実は厳しくて、500回売り込んで、ほぼ全てが門前払いでした。自分には才能がない。そんな諦めの気持ちから、私は考え方を変えました。自分よりも、他人のために生きてみようと。そして、始めたのがガーナでの活動でした。
全部、自分中心にやってきて、それがダメで501回目。人のためにしたチャレンジで、初めて自分の活動が評価されたのです。おかげさまで、2024年現在で累計30億円の売上を作ることができ、ガーナでも60名以上の雇用を生み出せました。1年で廃業に追い込まれたダメダメ経営者だった僕が、今では信用力や総合的な企業力を評価するCRDモデル(スコアリングサービス)で、約52000社中、1位の評価をいただくまで成長をすることができたのです。「サステナブル」という概念が、収益と信頼を大きく引き上げてくれたのです。「僕にとっての芸術は、人を助けるためのものだったんだ」と、自分の運命を悟り、運命に従って生きてきた結果です。
志・運命・使命。様々な言葉がありますが、誰しもが与えられた生き方があると僕は思っています。僕自身がそれを見つけられたのは、世界中を飛び回り、実際に触れてきたからです。自分が何者かも分からない、なぜ絵を描きたいのかも分からない。訳も分からなくとも、様々な情報と触れ続けるなかで、自分の運命に気づいたのです。
次は、2030年までにガーナへの100億円規模の事業投資と一万名の雇用を目指して挑戦しています。これからも変わることのない「志」を追求し続け、世界に貢献していきます。