「カッコよく生きたい」変わらぬ想いが導いたHIPHOPスターの生き様

不良少年から、アリーナを揺るがすスターへ。日本のヒップホップシーンを席巻するAK-69氏の物語は、まさに奇跡の逆転劇です。少年院というどん底、栄光の影での苦悩。数々の試練を乗り越え、自らの手で運命を切り拓いてきました。一体、彼を突き動かした原動力は何なのか? 挫折と成功を繰り返しながらも、決して諦めなかった男の魂の軌跡を追います。

喧嘩に明け暮れた不良少年がどん底で見つけた希望

幼少期からいわゆる「ガキ大将」でした。あらゆることを「暴力」で解決する学生時代。求めていたのは「カッコよさ」でした。派手な髪、奇抜なファッション、改造車など、あらゆるものに手を出し、「カッコいい」と思われる自分を目指しました。HIPHOPの世界に飛び込んだのも、そこら辺の街の不良とは違う「カッコいい」存在になりたかったからです。敵を打ち負かす自分、強い自分、派手な自分、そういった理想はそれなりに手に入れてきましたが、どこまで頑張っても空虚なままで、ずっとモヤモヤな毎日。ぶつけるところがない苛立ちをためては不良行為を繰り返し、19歳には少年院に入ったのです。そのときに初めて世の中から切り離されて、自分と向き合う機会をもらえて、考えて考えて、たどり着いた答えは、「自分にはHIPHOPしかない」でした。HIPHOPが貧困から生まれたレベルミュージックだからです。ハンデを背負った人たちが、音楽で成り上がっていく姿を見て、どこか自分と重なったのです。学歴もない、やりたいこともない、ただ「カッコよく生きたい」、その一心でした。そして、そこからどんなに苦しく、たとえ食うに困っても、すべてのエネルギーをHIPHOPにぶつけて生きる人生を選びました。

逆境でも貫き通した不屈のポリシー

名古屋のストリートから始まった音楽活動は、困難だらけでした。お金も機材も人脈も経験も、何もなく、できることは地道に歌い続けるのみです。しかし、必死に毎日を生きていくなかで、少しずつ応援してくださる方が増えていきました。全力で歌う目の前で、感動し、感謝してくれるファンの方の姿に、幾度と勇氣をもらってきました。底辺から這い上がってきた人生が、誰かの役に立てているということが、とてつもなく嬉しかったのです。自分の音楽が誰かに届き、自分の発するメッセージが誰かに影響を与えている。アーティストとしての自覚が強まり、僕のなかでの「カッコよさ」の定義が少し変わった瞬間でした。
その後、活動は全国区へと広がり、コンサートでアリーナを埋め尽くすまで至りました。しかし、浮き沈みの激しいエンターテイメントの世界。一度掴んだ栄光は、決して永遠ではありません。初のアリーナツアーから5年が経ったころ、チケットの売れ行きが伸び悩み、スピードや動員数に課題を感じるようになっていました。
ある日、当時所属していた事務所の社長に呼ばれました。突きつけられたのは「これ以上の戦いは無理だ」という一言。現状維持で無難な道を生きるか、大きなリスクを取って独立して挑戦するか。選択を迫られました。多くのアーティストが、ここで周りの評価に飲み込まれ、妥協しこの世界を諦めてしまう。僕もその道をたどってしまうのではないかと、強い不安を感じました。でも、それ以上に悔しさを覚えたのです。「このまま終わるのか、それとも運命を変えてみせるのか」。ライブで熱狂するファンの方の顔や、ともに夢を追いかける仲間の顔が浮かび上がってきました。「この人たちの笑顔のために頑張っているんじゃないか。こんなところで諦めてどうする。いつも逆境から這い上がってきた人生だった、今こそ勝負をかけるときだ」。そんな強い思いが、再び心に灯った瞬間でした。成功の可能性はわずか1%だとしても、挑戦し続ける。そんな思いで事務所からの独立を決心。スタッフ2人で小さな事務所を構え、再起をかけた武道館公演を目指しました。それは、まさに崖っぷちの賭けでした。

全力で生きることが人を動かす第一歩

すべてを賭けて行った
2017年の武道館ライブ

これまでは事務所の看板があったから武道館を借りられましたが、そもそも会場確保に難航したのです。信頼する経営者に頼み込んで保証人になってもらい、なんとか借りるも、この公演が仮に失敗すれば、莫大な借金を抱えるだけでなく、多くの方に迷惑をかけてしまう。もう二度と音楽活動ができない状況が容易に想像できました。まさに命がけの毎日。立ち止まると不安に襲われて狂ってしまいそうだったので、常に前進し、できることは何もかも全部やりました。そして、本当におかげさまで一人また一人とお客様が集まり、徐々に徐々にチケットが売れていったのです。そして迎えた公演当日。満員の熱氣に包まれた武道館に、再び立つことができたのです。
僕は決して天才ではありません。失敗も挫折も、たくさんしました。それでも頑張り続けてなんとかここまでたどり着いています。振り返ると、自分が成し遂げたというより、多くの方が助けてくださったのです。本当にありがたいことです。ただ、一つだけ確信をもって言えることがあるとすれば、いつのときも100%全力で生きてきたということです。「カッコいい」を求め続けて来ました。初めは自分のことしか考えていませんでした。でも段々と、仲間を守れる存在が「カッコいい」と思えるようになっていきました。そして、信じてくださる方々の期待に応えたい。誰かにとっての勇氣になりたいと、僕のなかでの「カッコいい」が変化していきました。その変化に比例して、力が漲ってくるのです。だからこそ全力で生きることができました。不思議とそうなればなるほど、協力してくださる方々が増えていったのです。

日本最大級のHIPHOPフェスティバルにも出演

 

本物の「言葉」だけを届け続ける

過去の経験を活かして
少年院での講演も行う

「Flying B」という曲は、武道館公演という大きな目標に向かって突き進むなかで生まれました。壁にぶつかり、悩み、そして自分自身と向き合う過程で生まれた言葉は、飾らない、ありのままの心からの叫びでした。今では僕の代表曲の一つになったのです。一番苦しいときに、自分を鼓舞してきた言葉。救ってくださった恩人への感謝の言葉。大切な人を守る決意の言葉。借り物ではない、自分の心の底から湧き上がる言葉だけを伝え続けています。
逆境から這い上がっていく。馬鹿にされても、笑われても、見返す。自分の信じる「カッコいい」を徹底的に貫き、自分の人生に誇りと自信をもつ。そのプロセスのなかで自分の内側から生まれた言葉こそ、人の心に響き、人を動かすと信じています。
中途半端な氣持ちじゃ、成功なんて掴めません。その覚悟で、これまでのHIPHOP界が成し得なかったことを、たくさんやってきました。でも、まだ挑戦は終わりません。2025年6月9日には横浜アリーナでデビュー以降最大規模の単独ライブの実施が決定。12,000名の皆様に過去最高の時間を届けます。
アーティストとして、より多くの人々に感動を与えたい。経営者として、関わりのあるすべての人を幸せにしたい。その思いは、日ごとに強くなるばかりです。いつかアーティストとしての道を引退する日が来るとしても、そのときまでに、自分だけの歴史を刻み込みたい。未だにずっと、ワクワクしています。

魂のメッセージを歌い続ける

 

長坂真護 美術家 MAGO CREATION 株式会社 代表取締役