儲けと無縁の地域貢献で売上14倍の逆転劇

家印株式会社 代表取締役 坂東秀昭  

住宅購入と言えば人生の大イベント。名だたる大手建築会社がひしめき、集客戦略や販売戦略が飛び交う業界で異例の成長を遂げてきた会社がある。決して売上を追いかけず町おこしをはじめとした地元貢献に力を入れ、結果として14倍の成長を遂げたのだ。あえて地元素材を使い、手間のかかる作業を行っているにも関わらず、一体何が成果を生み出してきたのか。その背景を伺った。

埋まらぬ夢と現実の落差

建築の道を歩み始めたのは大学生のころです。
柔道選手を目指すも、度重なる怪我で引退を決意し、元から興味のあった建築に思いを寄せるようになりました。

その後通った専門学校でデザインの楽しさに触れ、作品づくりに没頭する毎日を送っていました。
学内コンペでは常に好成績で、1位の勲章もしばしば。確かな自信を持って飛び込んだ建築業界でしたが、現実は甘くなかったのです。

最初の会社は赤字経営からか、社内の人間関係が悪く、また実力不足もあり直接営業で取れた仕事は5年間で僅か1件。

その後倒産を機に独立しましたが、数千万の買い物を無名の会社からしてもらうのは決して簡単ではありません。
まして、信頼と実績がない私に、その機会は巡ってきませんでした。
デザイン力に自信があった分、非常に悔しかったです。

お金を稼ぐために住宅業者の下請けをすることもしばしば。
それは図面を書いても選ばれなければ賃金を貰えない仕事で、実際に形にならなかった案件も多くありました。
それでも会社存続のために、藁をもつかむ思いで働き続けました。

しかし、独立から8年が経っても下請けから脱却できず、会社の売上は年間300万前後。
私の年収は長らく100万以下でした。
37歳にして親のスネをかじる生活を続けていたのです。

お客様を勝たせる仕事の追求

それでも建築は人を幸せにする仕事だと信じる心の炎は微かながら燃えていました。

試行錯誤を繰り返しながら出会ったのが、win・winという価値観でした。
それまでの私は、お客様の立場に立った仕事ではなく、自分の思いを押し付けていたのだと思います。

しかし、良く考えてみると憧れてきた成功者たちは、自分中心ではなく相手の願望を聞き、お互いが納得する物を作り提供していたのです。
それはお客様や仲間や地域を勝たせることであり、『頂点への道』講座でその考え方が自分に必要だと更に腑に落ちたのです。

では、お客様と地域と社員を勝たせるために自分にできることとは何か。

行きついた答えは、これまでの経験と職業技術を活かしてできる地域貢献でした。
私の住む朝日町は、高齢者人口が4割を超え、富山県で最初に消滅する町と発表されています。
しかし、貴重な文化・芸術、人の温かさがあることを私が一番よく知っています。
この良さを活かし、活気に溢れ、毎日を幸せに生きられる町を仲間とともに作りたいと思ったのです。

そのために自分に何ができるか、そう思って取り組んだのが、重要視されてこなかった空き家の活用でした。
居住希望者とのマッチング活動や、空き家を改装して町の人が集まれるコミュニティスペースを作りました。
そこで月に数度イベントを開催していったのです。

地元の食材やお酒を持ち寄った食事会や、生活・お金・住まいを学ぶ勉強会など。町の人たちにとって必要だと思ったことは何でもやりました。
少しずつ集まる人も、空き家のマッチング件数も増加し、今では行政と連携した町づくり開発まで私たち主導で行っています。

そうして噂が噂を呼び、時間とともに私の名前が知られるようになっていったのです。

仕事の方も、手当たり次第に受けるのを辞めました。
使用する素材を比較的原価の高い地元産の物にし、その良さが分かる地域の職人や作家にあえて依頼をするようにしました。
その地域にしかできない魅力的な建築の提供を通じて「顧客満足の追求」をするようにしたのです。
それは経費と手間が増え、一見すると、損する選択です。

しかし、地域貢献を大切にした仕事のあり方や、民間主体で盛りあがっている町おこしが注目され、新聞や雑誌から取材の依頼をいただくようになったのです。

私の存在を知ってもらったのはもちろん、何よりも町の方々が自分のことのように喜び、応援してくれるようになったのです。
それに伴い理解者も協力者も徐々に増え信用がつき、仕事の依頼件数も増えていきました。

それまでの、自分が勝つという価値観で生き、目の前の成果を追いかけていたころでは考えられなかったことです。

イベントごとに深まる地域の絆
イベントごとに深まる地域の絆

加速する成長、確かな手応えに

少しずつ仕事の幅が広がるとともに、私の中で再確認が出来たことによって得られた確信がありました。

「人を幸せにする建築が私の使命である」ということです。

それは、一生住めて、安全で快適で健康的な家をご提供する。
そして、細部に至るまで綿密に設計し、お客様に感動を与えられる家造りを町と仲間とともに行うことなのです。

この確信を手にして約3年が経ちます。
今では宣伝、営業、広告展示場などに経費を全くかけなくても、常に口コミや紹介で1年以上先まで予約をいただける状態になりました。

また、安さだけを求めるお客様や、受注できるかできないかわからない相見積もりの仕事はすべてお断りできるようになりました。
それは関わる方々を幸せにするためです。

約3年前に1300万ほどだった年商が、今期は1.8億を突破しようとしています。

恐らく、もっとお金を稼ごうと思えば、できることはいっぱいあるでしょう。
しかし、私が大切にしているのは「お客様が生涯一度の大きな投資に、心から満足して過ごせる大切な環境を届けること」です。

その思いを元に、一軒一軒丁寧に作っています。
自分が納得する仕事をしている自負が今はあり、お世話になった両親をはじめ、多くの方に恩返しが出来ている実感もあります。

これこそ、私が本当に求めていた建築の仕事なのです。
「目的」に根ざした選択をし続け、仲間を町を家族を、幸せにする仕事を、これからも追求していきます。

お客様が納得する住まい作りのためには時間は惜しまない
お客様が納得する住まい作りのためには時間は惜しまない

 

取り組んだこと
◦目先のお金を稼ぐための案件をやめる
◦価格(安さ)で勝負することをやめる
◦自分以外の人でもできる一切の仕事を断る

⬇︎

得られたこと
◦周囲からの確かな信頼
◦1,300万から1.8億へと伸びた売上
◦1年以上先まで埋まる予約

 

坂東 秀昭(ばんどう ひであき)
1974年、富山県下新川郡朝日町生まれ。呉服屋の長男として、町の伝統文化や和の心に触れて育つ。小学生から柔道に打ち込み、中学では全国大会に出場した実績を持つ。大学卒業後に建築家を志し、東京テクニカルカレッジに通う。居住者への思いやり溢れるデザインと、地元に根ざした施工スタイルが人気を集めており、近年では地元新聞社をはじめ、数々のメディアに取り上げられている。