アチーブメント初のプロパー取締役を生み出したマネジメントの”技術”[前編]

新卒入社から19年。社員250人以上を抱えるアチーブメントで、初めてのプロパー取締役に就任した橋本拓也が、部下育成の秘訣を独自の視点で語ります。酸いも甘いも経験したマネジメント経験から得た知見を、前編と後編の2回に分けてお届けします。部下の成長を加速させたい、組織を活性化させたいとお考えの方必見です。

組織崩壊を招いた「マネジメント暗黒時代」

今年で新卒入社から19年目を迎えて40歳となり、取締役営業本部長という役職を担うまでになりました。現在では全国各地の130人を超える社員のマネジメントをしていますが、ここまでの道のりは決して平坦ではありませんでした。

私はアチーブメントに新卒入社してから最初の5年間は、新規事業の立ち上げを任され、ほとんど一人部署のような環境で事業の責任者を務めていました。

その後、部署異動を経て私が本格的にマネジメント業務に従事するようになったのは、28歳のころ。新卒6年目でしたがそれまで一人部署での経験しかなく、頼れる上司や後輩と関係を築く経験を持てなかったこともあり、マネジメントに対する知識は希薄。「チームメンバーは上司をサポートする存在だ」と、本気で考えていました。

そんななかでも成果を出し、30歳の頃には東京をはじめとする全国の拠点のメンバーをマネジメントする立場に昇格。順調にチームを束ねているという自信も、そんな間違った認識に拍車をかけていたように思います。

当時の私は「部下は上司の指示に従うのが当然」と考え、部下の得意なことや好きなことには目を向けず、自分のやり方を強い、降ってくる仕事を淡々と押し付けていました。

当然ですが、業績は上がっていてもチームの雰囲気は最悪。そんな折、部下から「私は橋本さんの駒ではありません」という指摘を浴びました。

自分のマネジメントが間違っている──それを自覚するには充分に決定的な出来事でした。

部下からキツイ言葉を投げかけられ、マネジメントに行き詰まりを感じた時に、上司から受けたフィードバックは、今も心に残っています。
「メンバーはあなたをお手伝いする人たちではない。メンバー一人ひとりが主役であり、マネジャーは彼ら彼女らの成長をサポートする脇役である」今ならわかりますが、プレーヤーからマネジャーに移行する際には、組織の中での役割も考え方も、180度変えなければなりません。
しかし、当時の私はそのことを頭では理解しながらも、実践に移すことはしていませんでした。

「人は変えられない。でも人は変われる」

そんな理論を頭では理解しつつも、「人は変えられる」と思いたいもう一人の自分と葛藤しながら、自分の考えを一方的に部下に押し付けていたのでした。

上司の言葉で、長年マネジメントがうまくいかなかった現実と理論がようやく結びつき、「悪いのは部下ではない。自分が変わらなければならない」と強く感じたことをよく覚えています。

マネジメントは3年後の自分を見据えて、長い時間軸で取り組むもの

理論を行動に落とし込むには、一歩ずつ実践して、変化を自覚する地道な訓練を繰り返す必要があります。それは、一朝一夕にできることではありません。しかしほとんどの人は十分に時間を費やす前から「マネジャーに向いてない」と投げ出したり、上司ですら「この人にはマネジャーの適性がない」と判断したりしてしまいます。

しかしアチーブメントは、マネジメントという技術の習得に時間がかかることを理解し、私の成長を長い目で見てくれました。

同時に上司は、私に対しても「長期的な視点を持つこと」を常に強調していました。

「3か月後の成果だけを追い求めるなら、橋本がプレーヤーとして自分で仕事をしたほうが、早いかもしれない。でも5年後の自分の姿を想像してみてほしい。変わらぬ忙しさの中で、同じ業務をやっていくことが、君にとって理想と言えるか。マネジメントの経験は、あなたの人生を大きく変える可能性を秘めている」
上司の言葉は私にとって大きな支えとなり、そのお陰でマネジメントの道を諦めずに今日まで歩き続けることができたと感謝しています。