すべての人が〝志〟を持つ時代が到来する

元文部科学大臣 下村博文

人間学に基づいた教育立国を目指し、文部科学大臣を務めた下村氏。激動する時代に、人々が直面するのが、「何のために生きるのか」という問い。そんな問いに答える道標、「志」についてお話しいただいた。

シンギュラリティの時代に予想されること

2045年にシンギュラリティが到来するといわれています。
シンギュラリティとは技術的特異点のこと。
この時代には、AIが人間の頭脳を超え、今の人間の大部分の仕事がAIにとって代わると言われています。
連日、AIに関するニュースが飛び交い、シンギュラリティという言葉もだんだん一般的になってきました。

時代の変化に伴い、「AIが発達し、人生100年時代に突入する未来に、私たちはどのように生きていけばいいのか」について多くの人が関心があるところではないかと思います。

そのためには、「人間にしかできない仕事は何か」を考える必要があります。
一つわかりやすい例をご紹介しましょう。

国立情報学研究所がかつて進めていた「ロボットは東大に入れるか」人工知能開発プロジェクトをご存知でしょうか。
このAIは『東ロボくん』と呼ばれ、2011年から2016年にかけて、東京大学に合格できる学力をAIが身につけることを目標として進められていました。

2016年度のセンター試験模試では「MARCH」や「関関同立」と呼ばれる私立大学への合格可能性が8割を超え、論述式の東大模試では数学の偏差値が76・2を記録。
計算の正確さ・記憶の正しさ・データ処理でAIが優れていることがやはり明らかになりましたが、一方で、AIでは読解力が致命的に欠けていたことも判明しました。

プロジェクトリーダーの新井紀子氏は、著書『コンピュータが仕事を奪う』において、AIによって人間のホワイトカラーの仕事の一部が奪われ、人間の仕事は「AIには難しい人間ならではの高度なクリエイティビティを発揮する労働」の存在を主張していますが、東ロボくんの結果は、それを示唆するものであったと言えます。

これからは、AIが、単純な知識労働型・肉体労働型労働を人間から奪う時代に入ります。人間が行うべきは、人間的な感性や創造力を生かしたそれぞれの天分が発揮される仕事です。
思考力・イノベーション・アート・文化・スポーツ・AIに代替されない高度技術・技能にかかわる分野が人間が担うべき部分と言えるでしょう。

そしてシンギュラリティの時代には、ベーシックインカムやフリーミアムも発達し、人は最低限度の保証を受けながら食べていけるとも言われています。

これまでの時代は、人間は食べていくことに必死でした。
朝から晩まで労働をしなかったら生きていけない。

私も幼少期、大変貧しい生活をおくりました。
父を幼少期に亡くし、母が女手一つで育ててくれました。
高校進学も諦めるほどの貧困でしたが、奨学金で早稲田大学まで進学することができたのです。
このように振り返ればつい最近まで日々生きることに精いっぱいだったと言えるでしょう。

しかし、今では程度の差はあれど、社会全体は物質的に満たされてきています。
シンギュラリティ時代には、完全ではないにしろ、今ほど働かなくても食べていけるとまで言われているのですから、少なくとも多くの人の働く目的であった「食べるため」から変化していくことは間違いありません。

その時に考えるべきなのが、「何のために働くのか」ということですが、「自分の名誉や地位を獲得することが働く目的である」という方もいるかもしれません。

もちろん否定はしませんが、地位や名誉、そして自分の個人的な成功を追い求めるだけの人生では幸せになることができないというのは書籍『志の力』にも書いた通り、歴史が証明しています。

私の体験談でいえば、かつて26歳の時に文部大臣になることを決め、その目標を実現すべく、まずは都議会議員選に出ましたが第一回目の選挙結果は落選。
当時、経営していた学習塾の先生たちから、「塾長は塾を踏み台にしている」と批判され、多くの人が私のもとを去りました。

私自身は自分が貧しい中から志を立てた経験から、政治家になり教育立国を実現するという利他的な信念がありましたが、「結果的に周囲の人を犠牲にして自分だけが成功するのは、真の成功ではない」と痛感したのです。

生きがいを創るものは志にあり

これまでと違い、これからはお金や個人的な成功を求めても虚しさが増大する時代。
そんな時代に我々は何を求めて生きるべきなのでしょうか。

それは〝多くの人の役に立つこと〟すなわち利他です。

多くの人は「自分のことでいっぱいで、余裕はない」と考えてしまいますが、実は本当の意味で自分が幸せになるためには、他者への貢献が欠かせないのです。

「社会的課題解決のための活動参加意欲と幸福度の関係」という内閣府の調査があります。

 

これによると、「社会的課題解決にすでに関わっている人」のほうが、「活動に加わりたくない」という人より幸福度が高いことも調査結果として出ています。
すなわち、「利他的な人は幸せ」であるという一つの調査結果です。

つまり、真の幸福のためには、利他に生きることが欠かせず、真の成功もここにあると言えます。
そもそも日本の労働観では「働く」とは「傍を楽にする」こと。

これからの時代は、働く目的が自分の生きる目的と繋がり、同時に利他的であることが、物質的でも名誉でもない、〝生きがい〟を創り出していきます。

それは言い換えれば「志に生きること」と言えるでしょう。
志とは、「すべての人の魂に刻まれた人生のテーマ」。それゆえ志は一部の人だけではなく、すべての人が持っているものであり、そこに大小や貴賤はありません。

「それぞれにしかない人生のテーマである志に生きることで周囲に貢献していく」

これからますます、それが真の成功と幸福を創り出していくでしょう。それゆえすべての人が志を持てる教育が求められるのです。

貧しい生い立ちから成功哲学を用いて、文部科学大臣へ
貧しい生い立ちから成功哲学を用いて、文部科学大臣へ

 

下村 博文(しもむら はくぶん)
群馬県生まれ。早稲田大学教育学部を卒業し、1989年東京都議会議員に初当選。自民党都連青年部長、都議会厚生文教委員会委員長などを歴任し2期7年を務め、1996年第41回衆議院総選挙において東京11区より初当選。2018年6月時点で8期目。2012年12月の第2次安倍内閣発足時より文部科学大臣を務め、その他に内閣官房副長官、文部科学大臣、教育再生担当大臣などを歴任。9歳の時、父の交通事故死により生活苦となり、高校・大学を奨学金で卒業。その経験から、遺児を支援する「あしなが育英会」の副会長を務めている。また、大学在学中に開校した学習塾「博文進学ゼミ」を生徒数2000名超の進学塾に成長させた実績を持つ。著書に『9歳で突然父を亡くし新聞配達少年から文科大臣に』(海竜社)、『下村博文の教育立国論』(河出書房新社)などがある。