プロフェッショナルの哲学〜3人のスペシャリストが歩んだ達人への道〜

京大人気ナンバーワン講義担当の火山学者 鎌田浩毅
2万症例を執刀した世界的心臓外科医 南和友
40万名を研修した能力開発スペシャリスト 青木仁志

〝プロフェッショナル〟。専門性を極めた人物のことを人はそう呼ぶ。どんな業界・職種であっても、一つの道を極めることは並大抵なことではない。しかし、プロとして活躍する人々の言葉には、共通する哲学がある。「いかに、自らの専門性を高め、社会に貢献する人材になるのか」、卓越を目指す、多くの人がテーマとするこの問いに、3人のスペシャリストがそのヒントを語った。  (鼎談場所:アチーブメント東京本社)

プロフェッショナルが歩んできた道

青木
本日はよろしくお願いします。南先生はアチーブメント出版から8万部のベストセラーとなる『蘇活力』を出版されたご縁。また、鎌田先生は以前、クラブニュース(2016年8月号『人生を変えた一冊』)にご登場いただきました。南先生と鎌田先生が以前からのお知り合いということで、今回はお二人とお話ができることを大変嬉しく思います。

 

こちらこそよろしくお願いします。

 

鎌田
私も青木代表とお会いすることを心待ちにしておりました。

 

青木

鎌田先生はクラブニュースを、京大の学生にも配布いただいたと伺っています。その節はありがとうございました。

さて、早速ですが本日の鼎談のテーマに移りたいと思います。 南先生は2万症例を執刀された世界的心臓外科医。鎌田先生は、京大人気ナンバーワンの講義をご担当されていらっしゃり、火山学の権威でいらっしゃいます。まさに〝スペシャリスト〟のお二人を迎え、今回は、「プロの哲学」というテーマでお話を伺いたいと思います。今でこそ、ご高名がとどろくお二人ですが、まずは簡単に、それぞれのご専門を選ばれた背景をお話しいただけますでしょうか。

まず南先生からですが、医学の道を志されたのは幼少期のご親類のご病気があったそうですね。

 

そうですね。ちょうどあれは私が8歳の頃でした。3歳下の妹が家の中で倒れ、心肺停止となり、そのままあっという間に亡くなってしまったのです。あまりに突然でした。そしてそれ以上に、「なんと人は簡単に命を落としてしまうのだろう」と無常観を感じたものです。

 

青木
8歳でそうした「命」の大切さを感じるご経験は、その後の人生に大きな影響を与えますね。

 

医学に目を向けたファーストコンタクトと言えるでしょうね。
大学は京都府立医科大へ進学しましたが大学2年の時に学園紛争が激化し、学校が封鎖になってしまいました。そんな時に、父から渡されたのが、シベリア経由ヨーロッパ行きの片道チケット。今と違って、飛行機はあまりありませんでしたから、横浜から出航した船で、大しけの中を揺られ、シベリアへ。その後は、ヒッチハイクを駆使して北欧を経由し、やっとの思いでヨーロッパに到着しました。チケットは片道ですから、帰りの旅費を稼がないといけません。まず、見つけた仕事が皿洗いでした。

 

青木
世界的心臓外科医も初めの職業は皿洗いだったのですね。南先生とは比べ物になりませんが、私も溶接工見習いからのスタートでした。

 

同僚からも「医者の卵が皿洗いしているぞ」と言われたものですよ。

しばらくしたら、京都府立医科大から「大学が再開する」と一報を受けました。しかし、私は日本に帰らず、思い切って休学してドイツに渡りました。ハイレベルな医療技術を見たかったこともあり、1年間ドイツの語学学校で語学力を身に付けると共に、医療施設を訪問。その医療技術に感動しました。

大学に戻り、日本の心臓外科を見て驚いたのは、日本とドイツの技術の差です。
ドイツでは3時間程度で終わっていた手術が、日本では10時間以上かかっている。私が見たドイツ施設では1000名の患者がいたのに対して、私の大学は70名。その15倍の差がそのまま、一人前の心臓外科医になる速度の差になると思ったのです。つまりドイツの1年が、日本の15年になると。

そうした思いから、大学を卒業したら、すぐにドイツに渡りました。そこから、30年間ドイツで過ごし、そのうち、20年間はドイツの州立心臓センターに立ち上げから携わり、有難いことにその実績が認められ、ドイツボッフム大学で日本人初の永代教授に任命されました。

 

青木

なるほど、休学してドイツを見ていたからこそ、ドイツに再度渡るという決意に繋がったということでしょうね。

鎌田先生は、南先生とは異なり、初めからご自身の専門分野を決められていたわけではないと伺いました。

 

鎌田

そうですね。僕は、東大を卒業し、その後に通産省(現 経済産業省)に入省しました。初めに与えられた仕事が地質調査の仕事。日米貿易摩擦などを解決するといった、就職時の華やかなキャリアのイメージとは全く違い、向き合うのは、日々、岩石ばかり。当時は面白さも全く感じませんでした。

しかし、九州の大分県と熊本県にまたがる火山地域で地質図を作るプロジェクトで、九州の阿蘇カルデラを訪れました。

目の前に広がる壮大な火砕流大地の風景。そして、当時、プロジェクトに同行していた研究者の方が説明してくださった、リアルな岩石が語る当時の様子や歴史。全てを科学的観点で論理立てて説明していくその面白さに大変感動したのです。

そこからは、もうそれまでの10倍の勉強ですね。どんどん火山が面白くなっていきました。

 

青木
やはり成長を創り出すのは、自発性や内発性が大きな鍵ですね。

一流を創り出した「ある出来事」

鎌田

そこから10年間夢中になって研究に没頭していましたが、人生を変える次なる転機が訪れました。それが1991年の雲仙普賢岳の噴火です。43名が亡くなったのですが、その犠牲者の中には3名、私の友人がいました。その3名は、海外の世界的に著名な火山学者。つまり、火山に関して、これ以上ない知識を持っている専門家の中の専門家です。しかし、そんな人たちでも、火山で命を落としてしまう。「好きな研究だけをしていても、命を救えない」という事実が、その後の人生を変えるほどのショックでした。

それが再度現れたのが、1995年の阪神・淡路大震災です。実は私たち研究者は、「近畿は活断層があるため、直下型地震に注意すべき」と発信していたつもりだったんです。しかし、それを伝えていても全く伝わっていなかった。

それゆえに、あそこまで被害が拡大してしまいました。

だからこそ、研究するだけではなくそれを伝えること、災害をなくすことに自分の研究を使わないといけないと強く思っています。

 

青木
鎌田先生は、各地で啓発教育をされていますね。その活動はアウトリーチと呼ばれています。

 

鎌田
そうですね。私が、こうした派手な格好をしているのは、聴衆の関心をひきつけたいから。それは先ほど言った、伝えたい大切なことがあるからです。

 

鎌田先生のおっしゃったご経験は実は私も同じようなことがありますね。

先ほど、大学卒業後にドイツに渡り30年間過ごしたと申し上げましたが、実は当初は1年間の国費留学だったんです。つまり、大学の医局から1年間だけということで許可を得たんですね。しかし、1年後に私が選択したのは、ドイツに残るということ。医局に手紙を書いて、ドイツに残る旨を伝えました。すると、医局からきた返事は予想通り、「破門」です。それでも私はドイツに残りました。

なぜそうしたのかと言えば、大学の時に執刀した、あるお子様の思い出がありました。お子様は7歳。難しい手術で、9時から23時までの大手術をしました。しかし、結局、亡くなってしまったんですね。その時の悔しさは忘れません。ただ、その悔しさが大きくなったのは、まだ私が留学する前に、ある学会発表でドイツの施設を訪れたときです。

7歳のお子様と、同じ病気で手術をしているのにたまたま立ち会えました。結果は、私が14時間かかった手術が、たったの4時間。しかも、その患者様は翌日には朝食まで食べていました。「これが日本の心臓医療のレベルなのか」と、あの時の悔しさがわき上がりました。「今の日本の医療はこのままではいけない」という思いでドイツに残ったのです。

その後、ドイツで立ち上げた心臓センターでは症例数が5年後には欧州一、7年後には世界一の症例数となりました。

 

青木

破門を覚悟してでも残ったことが、南先生の世界一の実績へと繋がったのですね。

お二人が、プロと呼ばれる今の道を極めようと思ったきっかけは、「使命感」と言えるでしょうか。現状に対する問題意識や疑問が強くあるのでないかと思いました。

私もなぜ能力開発の道を極めようと思ったかと言われたら、やはり自分自身が、17歳で社会に出て、一心に能力開発をしてきたことが大きいと思います。そして、選択理論を伝え、不満足な人間関係に起因するあらゆる不幸を軽減することをミッションとしているのも、自らの体験から来る外的コントロールに対する強い嫌悪感があるからですね。

鎌田教授も南先生も、かつて直面した〝無力感〟が〝使命感〟に変わっていると。それは今の道を極める上で重要な要素だったということですね。

 

プロへ「近づく人」と「遠ざかる人」の差

青木
今、プロとしての道を極めていく土台として、使命感や現状への疑問、危機感ということをお話いただきました。そうしたマインドを土台としながら、そのほかにプロになるために必要な条件としてはどんなことがあると思われますか。

 

鎌田
私は二つあると思いますね。一つ目が、かつての私が実物の阿蘇カルデラを見て感動したように、「本物に触れること」。二つ目が「良き師との出会い」ですね。先ほど申し上げた、阿蘇カルデラのプロジェクトに一緒に来た研究者は、世界的な火山学者だったんです。その説明が実に巧みでした。

 

私もそう思いますね。ドイツに渡って、世界一流の心臓外科に出会えたというのは大いにありますよ。レベルが低いものしか見ていなければ、基準がそこで止まってしまいますから。これは職種を問わず共通していると思います。

加えて言えば、私は「一流の真似をする」ことをプロに近づく条件として挙げたいと思います。一流に触れる、そして徹底して真似をする。その技術が自分のものになってから、自分流を磨けばいいのです。しかし、これが多くの人ができないんですね。

 

青木
能力開発の観点から申し上げるなら、南先生がおっしゃる「真似をする」ことを妨げるのは、〝我〟ですね。松下幸之助さんがおっしゃる「素直な心」の真逆に位置するものと考えてもらえればいいでしょう。「守破離」の「守」が最も重要ですが、特に頭のいい、若い方に限ってそこを疎かにしてしまう気がしますね。しかし、長期的に見て大成しているのは、やはり「守」を徹底した人です。

 

鎌田

僕も良く学生に言うのですが、「言われたことはまずは一回やってみよう」と伝えています。「好きなことよりできること」と『成功術 時間の戦略』(文春新書)に書いたのですが、多くの方は「私はこれをやりたいからアドバイスは不要です」と言うのですが、卓越していく人はそうではない。「出来ること」を積み重ねていく先に、本当の「やりたいこと」が見えてくるような気がします。

だから、僕も70歳ぐらいで本当に好きなことができるのではないかと思います。まだまだ道半ばですね。

 

私自身は一流をコピーするのに10年間費やしました。施設を立ち上げて7年目で症例数が世界一になった後もですよ。そうした積み重ね、目の前の患者様に精いっぱい尽くしていったら、いつの間にか2万例の手術という実績になっていたというのが正直なところです。

ドイツを離れ、2010年から北関東循環器病院の病院長として、後進育成に携わる中で、今でも「日々勉強になるなあ」としみじみ思いながらやっています。

 

鎌田
世界的心臓外科医がまだまだ勉強中というのは、すごく重みをもった言葉ですね。

 

青木

お二人のおっしゃる通りですね。私は、素直さの土台には「目的」があるかが重要だと思います。素直さや真面目というのは、言われたことを実直にやるという意味も確かにあると思いますが、私は「成果に対する素直さ」が最も重要だと思っています。

素直になれない人は、成果ではない何か別のものを優先しています。それは、悪い意味でのプライドだったり、自己保身だったり、利己的な心だったりするでしょう。だからこそ、目的や目標を常に明確にしておくことが重要です。

私の意思決定の基準は、「目的を果たすために効果的か」という点です。だから、効果的であれば、人の力をどんどん活用し、能力のある社員に任せています。私が信頼して任せることで、社員は期待に応えようと素晴らしい働きをしてくれるのです。

プロになる上でも、プロとして活躍の場を広げていく上でも、成果に対してどれだけ素直になれるか。

そして、南先生、鎌田先生が口をそろえておっしゃる「まだまだここから」という気持ちが、ますますプロとしての卓越を創り出すのではないでしょうか。

 

一流に達した人を〝超一流〟に変えるもの

さらに言えばですね、プロのさらに上の超一流になる上で大切なことは、「自分の専門一本では超一流にはなれない」ということですね。

それを分けるのが、教養。専門以外のところをどれだけ知っているかだと思います。

私は、今も、現役バリバリで手術をしていますが、18時には病院を出て、ある時には、美術館に絵画を見に行き、ある時には映画も見ます。時にはオペラも見に行きますし、ゴルフも大好きです。よく「南先生はどこにそんな時間があるのですか?」と聞かれますが、時間はつくるものです。

大切なことは、そうしたことを行っていくと、感性が磨かれるんです。同時に、自分の世界が広がっていくので、他者の意見も素直に受け入れられるようになります。

 

鎌田

講演会などで私も同じ話をしていますね。

誰でも自分の分野がありますよね。しかし、特に理科系の分野において、ある部分では若い人の発想に追い抜かれたりすることもあるんですよ。

それをカバーするのが教養です。
私も専門の火山学に留まらず、時間管理や仕事術、文学、歴史など様々なジャンルの書籍を出していますが、こうした幅広い教養が実は地球科学と火山学にものすごく役立っているんです。それがナンバーワンからオンリーワンになっていく秘訣だと思います。

 

青木
一般的には専門に集中するという発想を持つのが常ですので、多くの人が驚くかもしれませんね。専門性以外に触れていくことで、逆説的ですが、専門の深化に繋がると。
そしてまた専門性を深めるために教養を学ぶ…。こうしたサイクルは、同じところをぐるぐる回っているようでそうではなく、進歩し続けている。これは〝螺旋型の向上〟とも言えるかもしれません。プロフェッショナルとして道を極めてこられたお二人だからこそ出てくることだと思います。

 

鎌田
若いうちからそうした教養の部分にどれほど投資できるかが、実は長期的に見た時の超一流への分かれ道になっているのではないかと思います。特に、青木代表のご専門の能力開発やビジネス書。これを若い時に知ると、時間の使い方・生き方がガラッと変わるんです。だから私は京大生にももっと自己啓発して、ビジネス書を読みましょうと言っていますよ。

 

プロへの道は目の前の先にある

青木
最後に、改めて、自分の専門性を見極めるためには、どんなことが必要なのでしょうか。

 

例えば、ノーベル賞を受賞された山中伸弥教授は、当初整形外科をされていましたが「向いてない」と思って方向転換され、研究の道でノーベル賞を受賞されましたよね。自分の専門性を見極めるのは若いときには簡単なことではないでしょう。

ただ、私は「期間を決めて、その中でまずは徹底して取り組むこと」が重要だと思います。3年はやらないといけません。それでも違うと思ったら方向転換すればいいのです。

 

鎌田
僕の人生を振り返ると、人から与えられた仕事で人生が変わっていくなど、「偶然」が多かった気がします。でも最近は、それが後々になって「良かった」という方向に繋がっていると思えています。だから「起きていることは全て正しい」のです。

 

青木
「目の前の道」の先に自分の専門分野があると。南先生のお話も、単に期間を決めるのではなく、その中でどこまで徹底できるかということだと思います。その結果、仮に道が違っても、次につながる何かが得られると。

 

鎌田
僕は地球科学が専門ですが、そこにあるのは46億年の地球の歴史と38億年の生命の歴史です。人類は皆繋がっていますから、みんなが38億歳の命を持っている。そう考えると、全員何かのプロなんです。何か意味があって存在していると思いますね。

 

青木

「自分に使命がある」と思っていると、目の前の現象に注意を持てますね。そうした思いがないと、せっかくの自分の極める道があっても見逃してしまうということではないでしょうか。

非常に限られた時間でしたが、プロを目指す人へ数多くの示唆となるお話をいただきました。読者の皆様にはぜひ先生方のご著書をお手に取って学びを深めていただきたいと思います。南先生、鎌田先生、本日は誠にありがとうございました。

 

鎌田 浩毅(かまた ひろき)
1955年東京生まれ。東京大学理学部地学科を卒業後、通産省(現・経済産業省)を経て、97年より京都大学大学院人間・環境学研究科教授に就任。専門は火山学、地球科学、科学コミュニケーション。日本火山学会誌「火山」編集長、日本地質学会火山部会長、日本火山学会理事、気象庁活火山改訂委員、内閣府災害教訓継承分科会委員などを歴任。また、啓発と教育に従事する「科学の伝道師」として専門用語を排し、こだわり抜かれた分かりやすさで教養・バラティ番組や『情熱大陸』『世界一受けたい授業』など数多くのメディアに出演。積極的に“アウトリーチ”を行う。京大での講義は教養科目人気ナンバーワン。文学、歴史、芸術など幅く学問分野に精通し、著書は火山学の分野以外にも、『座右の古典』(東洋経済新報社)『成功術 時間の戦略』(文藝春秋)など、人生の指針書となるような書籍を数多く出版。『地球の歴史』(中公新書、全3巻)は累計5万部。
南 和友(みなみ かずとも)
1946年大阪生まれ。74年京都府立医科大学卒業。76年ドイツ国費留学生(DAAD)としてデュッセルドルフ大学外科へ入局。以後30年間にわたりドイツで心臓血管外科医として活躍。84年バードユーンハウゼン心臓・糖尿病センター主席心臓外科医。89年臨床外科医教授に就任。2004年ボッフム大学永代教授に日本人としてはじめて任命される。05年から10年にかけて日本大学医学部心臓血管外科教授を務める。2010年医療法人北関東循環器病院の病院長に就任。これまでにおよそ20,000例の心臓・血管・肺手術を執刀。国内外の20以上の学会員・評議員を務める。特別講演・テレビ・ラジオにも多数出演。著書に『日本の医療危機の真実』(時事通信社)、『世界のベスト医療をつくる』『こんな医療でいいですか? 』(はる書房)、『解病』『病気にならない歩き方』『蘇活力』『蘇活力実践篇』(アチーブメント出版)、『人は感動するたびに健康になる』(マキノ出版)がある。